明治六年(一八七三)から同三九年まで存続した村。千歳郡に所属。北西は漁川および同支流
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
農村や山村に対して、村落の産業のうちで漁業の占める比重の大きな村落をさす。一般に漁村とみられている地域でも、現実には農業に従事する者が多かったり、通勤者の比重が高い場合もあり、産業の面でかならずしも漁業が卓越していない場合もある。したがって、一定程度以上に漁業の行われている村落をさすということになろう。また、漁村として、典型的には小規模な漁港をもつ村が思い浮かべられるが、規模の大きな漁港があり、冷蔵施設や流通施設などをもつ漁業基地ともいうべき地域も、一般には漁村とよばれる。
[蓮見音彦]
藩政期以来、村の地先の海面は村の共同の漁場として漁業権が認められ、沖合いは各村の入会(いりあい)漁業地とされて、沿岸の村の多くが漁業に従事してきた。このようにして形成された漁村では、その後、明治維新に際しても旧来の慣行が認められ、また第二次世界大戦後の漁業制度の改革や漁業協同組合の組織化を通じても、基本的な変革をみることなしに村落の特質を維持してきた。漁業村落が地先の漁場についての総有的な漁業権をもち、それを背景にして、村落を単位としたまとまりを維持してきたのであり、村落ごとに漁民集団がそのまま一つの漁業協同組合を組織する場合も少なくなかったのである。
漁業の形態に大きな差異があることから、漁村社会の構造には単純に一般化しがたい部分が大きいが、地先の漁場の資源を守るために漁業についての規制を定め、村の漁家がそれを共同して守るように強制することは多くの村でみられた。また、船や網の操作など、漁業においては個々の家族労働力を超えた、より多くの労働力の協力が必要とされる場面が少なくないことから、村落を単位とした緊密な協同組織がつくられることとなった。このように漁業権の共同体的特質を基盤に、漁業労働の特質に補強されて、漁村社会では村落の強い統合がみられた。
しばしば漁村においては、一定年齢に達した青年が若者宿に合宿し、漁業労働や村落生活についての基礎的な知識や技術を学び、同年齢の仲間の連帯をつくりあげるという慣行がみられた。また、このようにして組織された年齢を基準とする集団が、漁業生産や村落運営にあたって重要な役割を演じる地域もみられた。こうしたことから、土地所有や家格に基づいて特定の家が村落において支配的な地位を占めることの多かった農村に対して、漁村においては年齢階梯(かいてい)制に基づく村落秩序があるといわれてきた。
一方、沖合いでの大型の漁船による漁業や、大規模な網の場合には、これらの漁業を経営しうる資本を備えた層と、彼らに雇用されて労働力を提供する層との分化が生じる。網元・網子の制度や、船主・船子の制度などが近世末期から各地にみられた。地域によっては、これらの関係が本家・分家関係と重なり合ったり、親分・子分関係に展開する例もみられた。
[蓮見音彦]
漁業生産の発展は、これら漁村の社会構造に大きな影響を与えた。漁船の大型化と漁具や漁法の飛躍的発展によって、沖合いや遠洋の漁業が伸び、沿岸漁村は激しく分化してゆく。立地条件に恵まれた漁村では漁港を大規模に拡大して漁業基地へと転進し、そのような条件の乏しい漁村は衰微の道をたどる。これに伴って漁村内部の階層構成にも大きな変化が生じた。沿岸漁業の不振に伴い若年層の流出が進み、若者宿などの慣行を多くの地域で消滅させた。また、沖合いや遠洋での漁業の展開は、旧来の階層秩序を動揺させた。このようにして、今日の漁村では、かつての漁村独特の社会構造の特質はきわめて希薄なものとなってしまっている。
さらに、経済の高度成長の過程で臨海工業地帯の造成が進み、多くの漁場が埋立てなどで漁業放棄を余儀なくされた。沿岸の水質汚染による漁獲物の減少も甚だしい。その結果、漁村としての性格を失った地域もあり、漁業基地的な地域の比重をいっそう高めている現状にある。
[蓮見音彦]
臨海行政村はいくつもの集落から構成されていて漁村といえる集落は限定され、その数は少なくなる。臨海漁村は、岩浜海岸に沿うもの(岩浜漁村)、砂浜海岸に連なるもの(砂浜漁村)とに大別できる。そして集落民のほとんどが漁業に従事している純漁村というべきものは、半島や岬の突端など、陸上交通の不便な所に多くみられる。
漁村民の生産活動は、まずその集落の地先海面で行われ、日本ではそのほとんどに集落ごとの地先漁業権が設定され、漁村成立の基盤をなす。そこでは漁労をはじめ、養殖・加工(製造)などの生産活動が展開される。漁労用具は数が多いが、網と鉤(はり)とが第一で、網漁村、鉤漁村の呼び名もある。漁村のなかには、幕藩時代に水夫や魚類貢納などの役(やく)を務めていた所があり、それに伴って特権的慣行が認められてきた所もある。漁労活動には共同作業が少なくなく、わずかの時間しか手伝わなくても村民各戸が漁獲物の分配を受ける習慣のみられる所がある。古くからの利益享受と責任分担の結合の名残(なごり)とみるべきものであろう。
漁村には漁業専業村もあるが、一般的には半農半漁村が多い。各戸でも男女によって労働が分けられ(家庭内分業)、男漁女耕といわれる。主婦はまた漁獲物の行商を担当している場合があり、都市近郊の漁村にはとくに多くみられる。漁獲物は鮮度の落ちないうちに商品化する必要があり、漁村には、漁港のほか、魚市場、魚商、輸送業者、加工業者などの施設や業者が少なくない。こうして漁村の生産は、流通面に直結していて自給面が少ないのも特色である。漁村民中にはまた季節的に他地方の漁場へ出かけて出稼ぎ漁労に従事する者があり、青・壮年男子は出稼ぎ漁に出かけ、婦人、老人、子供が留守宅や村を守っている漁村もある。漁獲量は年によって豊凶差があり、漁労活動には危険が伴うことが多く、漁村民は信仰心が厚い。旧来の慣行が多く残存しているのも特色である。漁村集落は宅地が狭く、家屋が小型で低く、密集していてこの点では都市的である。
こうした漁村にも近年変貌(へんぼう)がみられ、漁業資源の保護と漁獲の安定を図るため、養殖が全国的に広く取り入れられ、「採る漁業」から「つくる漁業」へと変わりつつある。老齢者は漁労から離れて遊漁案内と民宿を経営するようになり、青・壮年層には転業して賃労働者やサラリーマンとなる者が増加している。こうした変貌に伴って、漁村に長く残されていた旧慣も薄められつつある。
[浅香幸雄]
『牧野由朗著『漁村と村落共同体』(『村落』所収・1970・川島書店)』▽『柿本典昭著『漁村の地域的研究』(1975・大明堂)』▽『柿崎京一著『近代漁業村落の研究』(1978・御茶の水書房)』▽『大津昭一郎・酒井俊二著『現代漁村民の変貌過程』(1981・御茶の水書房)』
主として水産業およびその関連産業に従事している人々によって構成されている村落。浦とか浜とも呼ばれる。従事する漁業が海面漁業であるか,内水面漁業であるかによって,海岸漁村,河川漁村,湖沼漁村などの種別がある。日本の漁村の歴史には,古く律令時代の海部(あまべ)からの伝統をひくものもあるが,多くは中世のころ,それまで磯場(いそば)を渡り歩いた漁民の定着化とともに成立をみたとされている。このような漁村は,定着後も,供御人(くごにん)として海産物を上納する義務を負わされる一方で,朝廷や幕府,守護などの保護を受けてきた。近世に入り,海辺農村の多くが,地先の海域を利用して,みずからの糧としてのおかず採りやこやし採りを目的とした漁業に従事するようになってくると,中世以来の伝統をもつ本浦,立浦などと呼ばれた海人漁村と近世以後の端浦(主農従漁の百姓漁村)との間で漁場争い,海境争いなどが頻発した。これらの係争を通じ,海辺農村は,徐々に自村の地先海域における漁業権を確立していったものと考えられる。1741年(寛保1)の〈山野海川入会〉によれば〈磯猟は地附次第也,沖は入会〉〈藻草ニ役銭無之,漁猟場之無差別地元次第刈之〉〈村並之猟場は村境を沖え見通猟場之境たり〉などとみえ,地先海域での漁業権は,陸上での村境を限りにそれぞれのムラに付属していた。
この事情は近代に入り,明治期になると,海面は国家の所有となり(海面官有宣言,1875),官有の海面を借用して,各申請者が漁業を行使する形態がとられるようになった。またこの時期において重要なのは,漁業権制度が確立されたことであろう。漁業権制度は明治漁業法(1901)において規定されたもので,定置,区画,特別,専用の4種の漁業権が設定され,これらは免許制に基づいて認可された。このうち,専用漁業権には,おおむね村落を単位に構成された漁業協同組合地区の地先水面をもっぱら用いて行う地先水面専用漁業権と漁業法以前の慣行に基づいて与えられる慣行専用漁業権の2種があったが,地先水面専用漁業権は,江戸時代の地先漁業権をほぼそのまま踏襲するものであった(地先漁場地元主義)。この旧漁業権は,第2次大戦後の漁業制度改革まで存続し,改革後新漁業権として今日に至るまで続いている。
漁業制度改革まで明治の漁業権制度が,実質的に江戸時代の漁村構造をそのまま継承したため,近代に入ってもなお,漁村は,ムラの支配層である地主=網元(あみもと)層の勢力を温存し,また,耕地所有や共有地所有の多寡によって漁場での漁業行使も身分的に差別的に行われてきた。今日の漁村には,古代以来の海部の伝統をひくと思われる,釣りや突きなどの攻撃的漁法を得意とする〈海民漁業〉に従事するムラと,定置網や地引網など受身的漁法をもっぱら用いる〈農民漁業〉に従事するムラとが,混在して認められる。〈海民漁業〉のムラは,後背農耕地も少なく,専業漁民によって構成されるか,あるいは主漁従農の形態をとるものが多く,海に対して強い志向性を有していると考えられる。それゆえこれらのムラは,屋敷地に農家のように作業場をもつ必要性もなく,また立地している場所は山のせまった狭隘地が多いところから家屋が肩をよせあうように密集して建てられ独特の景観を形づくっている。一方,〈農民漁業〉のムラは,定置網など網漁業を農閑期に行う主農従漁の形態をとり,さきにみた地先水面専用漁業権にみられるような,農地経営などに基づく農村的身分秩序を強く反映した漁業を行っている。
多様な形態をもって存在する漁村を分別するための類型案は,これまでいろいろ試みられているが,以下に代表的な漁村類型をあげておく。ムラにおける産業比率を指標としたものとして,(1)純漁村,(2)主漁従農村,(3)半農半漁村,(4)主農従漁村があり,また明治漁業法に制定された旧漁業権の種類によるものとして,(1)専用漁業権の村,(2)特別漁業権の村,(3)定置漁業権の村,(4)区画漁業権の村がある。一方,漁民層分解,漁労技術,漁場所有形態などの経済学的指標による,(1)小生産的漁村,(2)資本制生産的漁村,(3)出稼ぎ漁村,(4)内水面漁村もあり,漁業協同組合の構造による分類,(1)地先部落,(2)市街地部落,あるいは民俗学的分類として,(1)沖合漁業村(B村),(2)B村的定置漁業村,(3)海藻貝類採取を含む地先小漁業村(A村),(4)A村的定置漁業村,(5)カキ,ノリなどの養殖村などがある。農村に比べ,漁村は一般に個性的であると指摘されるが,漁場という陸上とは異なる生産環境での作業が主体であり,海域の生態的条件や,これに対応した魚族の生息条件など自然的制約を強く受け,これら条件にもっとも適合した漁法をそれぞれムラごとに行使しているため,農村に比して個性的になるものと思われる。
→浦・浜 →漁業 →漁業制度 →漁業法
執筆者:高桑 守史
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…一般に,海に突出した崎・岬に対して陸地が湾曲して湖海を抱えこんでいるところを浦といい,岩塊の露出した磯に対して砂泥や小石からなる海岸平地を浜という。日本の前近代を通じて漁村を表示する地名用語。古代社会においては,律令制的な公私共利の原則の下に浦浜の排他的領有は禁じられ,地域共同体全体による用益が行われていたが,他面それと競合する形で,王権に直属して贄(にえ)を貢納する贄人・海部(あまべ)などの漁民集団の漁場利用も存在していた。…
…浦方百姓=漁民による網漁の経営形態で,単なる漁網の種類ではない。近世の漁村では農村同様,百姓身分の構成に変りはないが,宇和島藩,吉田藩にみられる百姓網は漁業年貢,諸役を負担し,村の地先漁場を占有利用する浦方百姓のうち,網を世襲的に持っている村役人を除く他の漁民に,臨時的に許可された網漁経営である。それは,漁村にあって漁場占有利用権の弱い小漁民が行う小網漁で,旅網(たびあみ)にも開放された村地先の一部入会漁場で,特権的網漁の間隙に共同網,村網として操業された。…
※「漁村」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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