越田池跡(読み)こしだいけあと

日本歴史地名大系 「越田池跡」の解説

越田池跡
こしだいけあと

「日本霊異記」に「諾楽の京の越田の池の南、蓼原の里の中の蓼原堂に、薬師如来の木像在り」とみえ、「今昔物語集」にも「越田ノ池」とあり、「日本後紀」弘仁元年(八一〇)九月一二日条には、平城上皇が「川口道」をとって東国へ向かわんとして「添上郡越田村」に至り、この地で引返したとある。また「南都巡礼記」に「カモサカノ南コシタノ池」、西大寺田園目録に「添上郡南一条三十二三坪内二段字コシタシリ、字北道代」と記されている。

これらの記事から、越田池は平城京の左京九条の東京極付近にあったと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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