東国(読み)あずまのくに

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

東国
あずまのくに

「吾嬬」「吾妻」「我姫」「阿豆麻」とも書く。日本武尊東征の際,亡くなったオトタチバナヒメを偲んで碓日 (うすい) の嶺より東南を見おろし,「あがつま/はや」と言ったという「記紀」の伝説から生れたという。理的境界は一定しない。信濃,遠江以東をさす場合もあり,足柄山碓氷峠の東をさす場合もあるが,一般には後者で,奈良時代の初め頃から関東地方をさすようになった。

東国
とうごく

東国」のページをご覧ください。

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百科事典マイペディアの解説

東国【とうごく】

近代以前の日本の地理的概念の一つ。畿内から見て東方にある地方で,古代では北陸を除く近畿以東の地域,平安時代になると次第に限定され,相模の足柄峠の東,上野の碓氷峠の東南にある坂東などの諸国を指すようになった。フォッサマグナを境に日本列島の東半分と西半分とは植生など自然条件に大きな差異があり,また採集・漁労民の社会が形成された東日本朝鮮半島とも関わりをもつ西日本に文化の違いもみられた。西日本には,東日本に先んじて稲作文化が形成され,やがて畿内を基盤とする政権が日本列島の主要部に影響を拡大し,東北北部を除く東日本にも影響を与えた。この政権を構成する人々は東日本を東国といって,関東・東北地方を指していた。

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世界大百科事典 第2版の解説

とうごく【東国】

フォッサマグナを境とする日本列島の東半部と西半部とは,植生などの自然条件に大きな差異があり,旧石器時代からすでに文化の違いがみられた。縄文時代,それはさらに鮮明になり,狩猟,漁労,採集の条件に恵まれた東日本には成熟した採集・漁労民の社会が形成されるが,西日本には朝鮮半島南東部ともかかわりをもつ漁労民の文化など,人口は東日本に及ばないながら独自な文化を保持したといわれる。そして縄文晩期,西北九州に稲作の技術が伝播したのを契機に始まる弥生文化が西日本に急速に広がったのに対し,東日本がしばらく縄文文化にとどまったことは,この差異をさらに著しいものにした。

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大辞林 第三版の解説

とうごく【東国】

東方の国。
畿内から見て東方にある地方。
古代では北陸を除く近畿以東の諸国。
平安時代以降では箱根・足柄・碓氷以東の国。関東。あずま。
〔江戸城の東にあったことから〕 深川の遊里の別名。

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精選版 日本国語大辞典の解説

とう‐ごく【東国】

[1] 〘名〙
① 東の方の国。また、東方の土地。〔国語‐呉語〕
② 畿内から見て東の地方。北陸を除いた近畿以東、あるいは箱根・足柄・碓氷(うすい)以東の諸国。また、関東八か国をさしていう。東(あずま)。関東。
※古事記(712)序「東国に虎のごとく歩きたまひき」
※宇津保(970‐999頃)俊蔭「東国より都に敵ある人、報いせむと思ひて」
③ (中国の東に位置するところから) 朝鮮人が中国に対していった自国の称。
[2] (江戸城からみて東にあるところから) 江戸時代、深川(東京都江東区)の遊里をしゃれていう語。
※黄表紙・時代世話二挺皷(1788)「まさ門は王ゐをのぞみとうこくにだいりをうつし」

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世界大百科事典内の東国の言及

【ウマ(馬)】より

…日本においても,騎馬をどれだけ保有するかは重要な関心の的であった。東国武士団が鎌倉時代以後,畿内先進地域に対して,武力的に優位を得ていく過程を考えるとき,馬産に適した東国の立地を無視することはできない。まさによき馬とよき騎士を多くもつことは,覇権を握ることを意味した。…

【弟橘媛】より

…そのさい妃は〈さねさし相模(さがむ)の小野に燃ゆる火の火中(ほなか)に立ちて問ひし君はも〉との歌を残し,7日後に妃の櫛が海辺に流れついたという。のち東国を平定したヤマトタケルが足柄峠を越えた時,〈あづまはや〉(わが妻よああ)と三たび嘆いたが,爾来,東国(足柄以東)を〈あづ(ず)ま〉と呼ぶに至った,とも語っている。《日本書紀》は穂積氏忍山宿禰(おしやまのすくね)の女とするが,実在の人物とはみなしがたく,むしろ東国における早くからの宮廷直轄領(屯倉(みやけ))が武蔵国橘樹(たちばな)郡にあったことにちなむ物語上の命名であろう。…

【関東御分国】より

…鎌倉幕府の将軍の支配していた知行国。当時の史料上では,幕府が直接の基盤として特に強力な支配権を有していた東国の意味に用いられている場合がむしろ多いが,現在の学界では将軍家の知行国の意味に用いるのが普通であり,以下もその立場から述べる。将軍家知行国とは,将軍が朝廷から与えられた国のことで,将軍は知行国主として御家人を国司に推薦し,国衙(こくが)を支配して国衙領からの収入を取得した。…

【中世社会】より

…石井進はこれを領主制説に対する反領主制説としているが,この2潮流は相互に交錯しつつも,二つの中世社会論として現在にいたっている。 このうち領主制説が東国の実態に比重をおき,武家政権中心にその説をたて,分権的・多元的にこの社会をとらえるのに対し,反領主制説は西国(さいごく)の状況に立脚して朝廷,大寺社に焦点を合わせ,この社会の集権的・集中的な側面に注目する。前者の立場からは東国国家,東国政権の存在を主張し,鎌倉幕府,江戸幕府の成立にそれぞれ中世,近世の起点を求める見方がでてくるが,南北朝の動乱の社会的・政治的意義を重視し,室町幕府の確立に封建国家成立の重要な画期を見いだす見解は,どちらかといえば後者の説に親近性をもつといえよう。…

※「東国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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