辺春村(読み)へばるむら

日本歴史地名大系 「辺春村」の解説

辺春村
へばるむら

[現在地名]立花町上辺春かみへばる下辺春しもへばる遠久谷とおくだに

谷川たにがわ村の南にあり、辺春川が北流する。南の肥後国山鹿郡・玉名郡に通じる道がある(柳川藩領図)。永和元年(一三七五)三月二五日の今川了俊書状(島津家文書/南北朝遺文(九州編)五)に「郡春」とみえるのは当地と考えられ、了俊は当地を通り肥後山鹿に向かっている。寛正六年(一四六五)黒木氏らが大友氏に背いた際「辺松・黒木」が大友方の攻撃を受けるが、この辺松も当地であろう(一〇月一七日「宝勝院光憧書状」大友文書/大分県史料二六)。天正一〇年(一五八二)辺春鎮信が大友方に寝返ったため、龍造寺政家は辺春城を攻撃、鎮信らは戦死した(三月二八日「朽網宗歴副状」大友家文書録/大分県史料三三など)。同一三年九月島津氏は秋月種実救援のため当地の辺春親行らを三池みいけ(現大牟田市)境へ派遣した(「上井覚兼日記」同月六日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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