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上井覚兼日記 うわいかくけんにっき

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

上井覚兼日記
うわいかくけんにっき

薩摩,大隅,日向3ヵ国を領有した大名島津義久の家老,日向宮崎城主上井覚兼の日記。 27冊。天正2 (1574) ~14年の原本東京大学史料編纂所現存戦国時代における南九州の情勢や戦国武将の教養の高さを知るうえの好史料。『大日本古記録所収

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百科事典マイペディアの解説

上井覚兼日記【うわいかくけんにっき】

戦国末期の島津氏の武将上井覚兼の日記。27冊。東京大学史料編纂所蔵の自筆原本は1860年の補修時に《伊勢守日記》と題された。1574年から1586年の日記であるが,1577年から1581年分を欠く。

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世界大百科事典 第2版の解説

うわいかくけんにっき【上井覚兼日記】

戦国大名島津義久の老中上井覚兼の1574‐86年(天正2‐14)のかなまじり和様漢文体の日記。27冊。1577‐81年分は欠。東京大学史料編纂所蔵の自筆原本は1860年(万延1)補修の際《伊勢守日記》と題された。《島津国史》に《覚兼日史》,《旧典類纂》などに《覚兼日帳》と引用されている。現存写本は島津氏の手で江戸中期以降につくられた。戦国武将の生活と九州制覇期の戦国島津氏とに関する根本史料。《大日本古記録》所収。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

上井覚兼日記
うわいかくけんにっき

南九州の戦国大名島津義久(しまづよしひさ)の家老、宮崎城主上井伊勢守(いせのかみ)覚兼(1545―89)の日記。「伊勢守日記」ともいう。欠失が多く、現在1582年(天正10)11月から86年10月までの記事を中心に、1574年(天正2)8月からの13年分27冊の原本が残されている。内容は、この時期の島津氏の版図拡大のようす、領国支配に関する事柄、上級武士の生活など多岐にわたる。「島津家は頼朝(よりとも)以来の名家、羽柴(はしば)(豊臣(とよとみ)秀吉)の関白は笑止」と記したことは有名。島津家旧蔵の原本は現在東京大学史料編纂所(へんさんじょ)にあり、刊本を『大日本古記録』に収める。[北島万次]

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