上井覚兼日記(読み)うわいかくけんにつき

日本歴史地名大系 「上井覚兼日記」の解説

上井覚兼日記
うわいかくけんにつき

二七冊

別称 上井覚兼日史・上井覚兼日帳・上井伊勢守日帳・伊勢守日記 上井覚兼著

原本 東京大学史料編纂所

写本 都城島津家など

解説 戦国時代島津氏の武将上井覚兼(天文一四年―天正一七年)が自身で筆録した日記。天正二年八月から同四年九月までの部分(欠落あり)、同一一年一一月から同一四年一〇月までの部分(若干欠落)が伝来する。前半部分は鹿児島で島津義久の奏者を担当していた時のもので、島津氏の家中の裁判記録など公的な性格が濃厚である。一方、後半は覚兼が島津氏の老中となり、宮崎地頭に補任された時期のもので、自身の家族・家臣・趣味・嗜好をも精細に記し、日向の戦国末期の領主動向や寺社および村落などについて貴重な情報を伝えている。戦国期の南九州の基本史料である。

活字本大日本古記録(上井覚兼日記上中下三巻)


上井覚兼日記
うわいかくけんにつき

二七冊

別称 覚兼日記・伊勢守日記・伊勢守日帳・上井覚兼日史・上井覚兼日帳 上井覚兼著

原本 東京大学史料編纂所

写本 都城島津家・鹿児島県立図書館など

解説 戦国末期の島津氏の武将上井覚兼の日記。起筆は島津義久奏者となった天正元年頃と推定されるが、原本の多くは江戸中期以前に失われ、現存するのは天正二年八月から同四年九月までの七冊と同一〇年一一月から同一四年八月までの二〇冊。前半は奏者や永吉地頭として義久に仕えた時のもので、後半は九州経略期の島津氏の老中や宮崎地頭として手腕を振るった時のもの。戦国末期の南九州の政治や社会動向はじめ武士の生活や教養・文化・思考様式などがうかがえるほか、寺社や村落・民衆生活などについての貴重な情報も伝えている。国指定重要文化財。

活字本 大日本古記録「上井覚兼日記」上・中・下


上井覚兼日記(覚兼日記)
うわいかくけんにつき

二七冊

原本 東大史料編纂所

解説 島津義久の家老上井伊勢守覚兼の日記。天正二年から一四年まで一三年にわたるが、欠失が多く、主要部分は同一〇年から一四年にかけての四年間である。ちょうど島津氏が全九州を制覇した時期にあたり、その有力武将覚兼は日向宮崎の城主として日向の経営、大友氏との対抗にあたり、また日向勢を率いて肥後肥前出陣、天正一四年一〇月には大友氏討伐のため豊後に転戦した。武人ながら文芸のたしなみも深く、連歌茶の湯・立花などの記事も多く、戦国期の世情をよく伝える。

活字本 大日本古記録(昭和二九―三二年刊)


上井覚兼日記
うわいかくけんにつき

二七冊

原本 東京大学史料編纂所

解説 島津義久の老中覚兼の天正二―一四年の日記。覚兼日史・覚兼日帳、伊勢守日記とも。

活字本 大日本古記録

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「上井覚兼日記」の意味・わかりやすい解説

上井覚兼日記 (うわいかくけんにっき)

戦国大名島津義久の老中上井覚兼の1574-86年(天正2-14)のかなまじり和様漢文体の日記。27冊。1577-81年分は欠。東京大学史料編纂所蔵の自筆原本は1860年(万延1)補修の際《伊勢守日記》と題された。《島津国史》に《覚兼日史》,《旧典類纂》などに《覚兼日帳》と引用されている。現存写本は島津氏の手で江戸中期以降につくられた。戦国武将の生活と九州制覇期の戦国島津氏とに関する根本史料。《大日本古記録》所収。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「上井覚兼日記」の意味・わかりやすい解説

上井覚兼日記
うわいかくけんにっき

南九州の戦国大名島津義久(しまづよしひさ)の家老、宮崎城主上井伊勢守(いせのかみ)覚兼(1545―89)の日記。「伊勢守日記」ともいう。欠失が多く、現在1582年(天正10)11月から86年10月までの記事を中心に、1574年(天正2)8月からの13年分27冊の原本が残されている。内容は、この時期の島津氏の版図拡大のようす、領国支配に関する事柄、上級武士の生活など多岐にわたる。「島津家は頼朝(よりとも)以来の名家、羽柴(はしば)(豊臣(とよとみ)秀吉)の関白は笑止」と記したことは有名。島津家旧蔵の原本は現在東京大学史料編纂所(へんさんじょ)にあり、刊本を『大日本古記録』に収める。

[北島万次]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「上井覚兼日記」の意味・わかりやすい解説

上井覚兼日記【うわいかくけんにっき】

戦国末期の島津氏の武将上井覚兼の日記。27冊。東京大学史料編纂所蔵の自筆原本は1860年の補修時に《伊勢守日記》と題された。1574年から1586年の日記であるが,1577年から1581年分を欠く。戦国末期の南九州の政治や社会動向をはじめ,武士の生活や教養・文化・思考様式などがうかがえる。また寺社や民衆生活などについての貴重な情報も伝える。国指定重要文化財。《大日本古記録》所収。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「上井覚兼日記」の意味・わかりやすい解説

上井覚兼日記
うわいかくけんにっき

薩摩,大隅,日向3ヵ国を領有した大名島津義久の家老,日向宮崎城主上井覚兼の日記。 27冊。天正2 (1574) ~14年の原本が東京大学史料編纂所に現存。戦国時代における南九州の情勢や戦国武将の教養の高さを知るうえの好史料。『大日本古記録』所収。

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