近藤勘治郎(読み)コンドウ カンジロウ

20世紀日本人名事典 「近藤勘治郎」の解説

近藤 勘治郎
コンドウ カンジロウ

昭和期の考古学研究家 第六十九銀行専務。



生年
明治15(1882)年2月23日

没年
昭和24(1949)年4月20日

出身地
新潟県

経歴
第六十九銀行専務を務める。昭和8年新潟県長岡市の自宅に近藤考古館を創設。10年息子の篤三郎とともに同市の馬高遺跡三十稲場遺跡発掘。同時に県内各地の遺跡を調べ、「石器時代遺跡探渉日記」をまとめた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「近藤勘治郎」の解説

近藤勘治郎 こんどう-かんじろう

1882-1949 昭和時代の考古学研究家。
明治15年2月23日生まれ。第六十九銀行専務をつとめる。昭和8年新潟県長岡市の自宅に近藤考古館を創設。10年息子の篤三郎とともに同市の馬高遺跡,三十稲場遺跡を発掘。同時に県内各地の遺跡をしらべ,「石器時代遺跡探渉日記」としてまとめた。昭和24年4月20日死去。68歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の近藤勘治郎の言及

【馬高遺跡】より

…信濃川西岸の関原丘陵(標高60~70m)上にあり,小谷をはさんだ対岸に後期の三十稲場遺跡を望む。1935年頃から地元の近藤勘治郎・篤三郎父子によって遺物が収集され,打製・磨製石斧,石鏃,石匙,石槍,石皿,凹石(くぼみいし),石棒,玉類などの石器および土器,土偶,三角形土版,三角壔土製品,土製滑車形耳飾など,遺物が多数知られている。とくに縄文中期中葉の土器のうち,口縁部に鶏頭冠とよばれる四つの大型突起をもち,器面を隆線文様で飾る独特な様式のいわゆる火焰土器がはじめて発見された地としても有名である。…

※「近藤勘治郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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