一般に土中その他に埋没して直接見ることのできない状況におかれている物件を,実見しうる状況に露出する行為をいうが,とくに遺跡において,考古学者が遺構や遺物を検出する作業行為を指すことが多い。ただしそのうちで,土地等を掘削する行為のみを発掘と呼ぶこともある。たとえば,現行の文化財保護法では,遺跡を土木工事等で掘削することを〈土木工事等のための発掘〉とし,考古学の調査を〈調査のための発掘〉と呼んで,一応この二つの行為を区別しているが,いずれにおいても〈発掘〉は土地の掘削のみを指す言葉となっている。さらに同法では,いずれの行為も事前に文化庁長官に届け出ることが義務となっている。しかしその届出は,発掘届として一括処理されているため,調査のための発掘(以下これを発掘調査と呼ぶ)の正確な実施件数は確定されない現状にある。発掘届は,1983年度に1万4540件あったが,それは〈土木工事等のための発掘〉届と〈調査のための発掘〉届とを一括したもので,考古学の発掘調査の件数はおそらくその半ば以下であろう。
発掘調査は,遺跡として残されている過去の人間活動の痕跡から,人間活動に関連する情報を,歴史研究の史料として回収する考古学の作業である。その情報は,大別すると,(1)〈遺物〉,(2)〈遺構〉,さらに,(3)〈遺構や遺物相互あるいはそれらと上下・周囲の埋没土との空間的な位置関係〉,以上3種類の形をとって遺跡に残されている。しかし,発掘調査とみなされるすべての行為が,この3種類の形をとる情報をことごとく回収することを意図し,実行されるものとは限らない。
日本における発掘調査の嚆矢(こうし)としてよく取り上げられるものに,徳川光圀による1692年(元禄5)の下野国那須郡(現,栃木県那須郡)の上車塚(上侍塚古墳)と下車塚(下侍塚古墳)の発掘がある。光圀はその付近で発見された那須国造碑の報告(1687)に触発され,両古墳を那須国造の墓とみて,墓誌の発見によってその人名を確認することを目ざし,家臣に両古墳の発掘を命じた。今日の常識からすれば当然のことながら墓誌は得られず,発掘後,出土品を箱に納めて埋め戻して原状を復旧したうえ,松を植えて古墳の保存を図っている。その経緯は地元の関係者によって,墳形や出土品の略図も添えた一件書類として書き残されている。この発掘は,付近で発見された国造碑から,古墳の被葬者を国造とする仮説を設定し,その名を実証する史料として,遺物とくに墓誌の入手を目的とした掘削行為であった。その点で,これが近代的な発掘調査の原型的なものとして取り上げられるのもゆえなしとしない。しかし,たとえ遺物の検出を目的とする掘削行為であっても,通常には盗掘と呼ばれて,光圀による発掘行為などと区別されるものがある。たとえば1235年(嘉禎1)の大和国高市郡(現,奈良県高市郡)の阿不幾(あふき)/(あおき)山陵(現,天武持統合葬陵)における村人の掘削行為は,《阿不幾乃山陵記》などの記録が残されたものの,歴史研究の史料としての情報回収の意図はなく,おそらく金品の入手を目的とした,すなわち盗掘と呼ぶべき行為であった。とはいえ光圀の発掘も,3種類の形をとる情報のうち,遺物の入手のみを目ざした段階にとどまっている。
白人が支配したアフリカ南部のローデシアから,1980年新たに誕生した黒人国家ジンバブウェは,かつての栄光を象徴する,10~15世紀の巨大な石造建造物群からなる遺跡名を,その国名とした。この遺跡では,20世紀初め,その管理人に任命されたR.N.ホールが大規模な掘削を行っている。ホールはこの遺跡を,旧約聖書に登場するシバの女王の一族やフェニキア人の残したものとみて,これら古代の人びとによる建造物の遺構を検出する目的で,地点によっては厚さ3mにも達していた遺物包含層を一挙に除去した。遺跡を汚す後世の黒人が残した塵芥の類とみなしたのである。この行為によって,遺跡の実態と,この地方の歴史を解明する多くの貴重な情報が,永遠に失われたと推定されている。このように,たとえ遺構を検出し,史実を明らかにする目的をもち,一見したところでは発掘調査に似通った行為であっても,遺跡のもつ情報を,発掘者の当初の予想以外のものも含めて,可能なかぎりすべて回収する態度と,それを可能にする方法とを伴わない掘削行為は,発掘調査とは呼ぶことができない。ホールの場合,誤った予断のもとに,関係なしとみなした情報はすべて無視した。とくに遺跡に残る(3)の形をとる情報は一顧だにしていない。
しかし,それより早くすでにこの種の情報の回収に成功していたものがある。フランスの旧石器時代洞窟遺跡における発掘調査である。1864年ラルテÉ.Lartet(1801-71)とH.クリスティは,フランス南部ベゼール河谷のロジュリー・オートLaugerie-Haute洞窟で,上下に重なる3層の遺物包含層を確認した。これに続く多くの層位的事実の確認でもたらされた情報と,出土遺物の研究成果とを総合することによって,19世紀後半のヨーロッパにおいて旧石器時代文化の編年が確立していった。日本で発掘調査によってこの種の情報の回収が試みられるようになったのは,大正年間中ごろ以降のことである。そしてまた,発掘調査の名のもとで,遺跡のもたらす情報をすべて回収するのではなく,特殊な遺物や特定の遺構の検出のみを目的とし,他の情報を顧みない掘削行為も第2次世界大戦以前にはなお多かった。
発掘調査は,一定の目標を設定し,その達成に適した遺跡を選択して実施するものである。その目標は,多くは歴史に関連する仮説を検証するところに設定されている。このように仮説があって,それを検証するために実施する点では,自然科学で行われる実験に近いものともいえよう。ただし,通常の科学実験ならば,周辺条件を同じように設定すればほぼ再現可能である。これに対して,似通った埋没状況をもつ似通った種類の遺跡は存在しても,同じ状況の同じ遺跡はありえない。ましてや,そこに加えられた掘削行為によって,その状況は完全に改変されるのだから,同じ発掘調査を再現することは不可能である。発掘調査が〈繰返しのきかない実験〉だといわれるゆえんはここにある。さらに加えて,いかなる遺跡も発掘者の意図を充足する情報以外の情報を多量に包含している。遺跡にはその土地で生起したさまざまの時代の,さまざまの種類の人間活動の痕跡が累積している。縄文時代の情報回収を目標とした発掘調査では,その上層にある現代から弥生時代の間の情報を含む土層を取り壊すことなく実施することはほとんど不可能である。
このような遺跡と発掘調査とが備える特性を,早くから明確に意識して臨んだ考古学者にイギリスのピット・リバーズA.H.Pitt-Rivers(1820-1900)がいる。彼は道具の進化論的発達に関心をもち,実物資料によって検証するため,遺物を収集し,1881年から96年までイングランド南部で各種の遺跡を発掘調査した。彼は,発掘調査において発掘者が関心をもった問題に関連しないものは見過ごされがちになることを指摘し,将来新しく発生する問題に対処するためにも,遺跡の包含する過去の人間活動に関するあらゆる情報を集めておくことが,発掘調査を行うものの義務であるとした。また発掘調査ではすべてを観察し,記録し,公表することが必要であると説き,みずから実践すべく努力した。正確な記録を公表することのみが,別のあるいはのちの研究者によってその発掘調査を追体験しうる可能性を残すことになる,このことをはっきりと認識していたのである。イギリスの考古学者がピット・リバーズの調査を目して,最初の近代的な発掘調査とするのは十分うなずける。
発掘調査では,対象遺跡の種類と性格とに対応した,適切な発掘方法と発掘技術とを駆使できなければ,未回収のまま終わる情報が多くなる。できうるかぎりそれを避け,とるべき適切な発掘方法と技術を決定するために,着手前に地下の状況を予察しておかねばならない。それが予備調査である。予備調査には,地表面に散布する遺物や部分的に露出している遺構,あるいは現地形などの観察記録のほかに,ボーリングによる地下の堆積状況の把握,物理機器を使用する地下探査,さらには一部を小規模に発掘する試掘などがあり,それらによって遺構・遺物の埋没状況と位置,あるいはその形状や種類などを予察する。
広い対象地域全面を発掘調査する場合には,遺構や遺物を包含した地下の土層を広く平面的に露出していくことになる。この種の進行手順をとる発掘調査を平面発掘と呼ぶこともある。平面発掘では,遺構・遺物その他の記録のために発掘対象地を方眼状に小さく区画する。1区画の大きさは遺跡の種類によって異なるが,一般には1辺が1mから3mほどの方形である。普通その区画線あるいはそのうちの何本かに沿って畔(あぜ)状に土層を残しながら,その間を掘り下げていく。畔状に土層を残すのは,発掘中に堆積層の状況をその断面で観察できるようにするためである。この発掘調査方法は格子(グリッドgrid)状に区画を設定するところから,グリッド発掘,グリッド調査と呼ぶ人もいる。この種の広大な面積の発掘調査に対し,特定の問題解決のための情報入手を目的として,遺跡のなかの最適の部分で最小限の面積を対象に実施する発掘調査を部分発掘と呼ぶことがある。部分発掘では,対象地点に溝(トレンチtrench)状に掘削部を設定して発掘を進める,トレンチ発掘またはトレンチ調査と呼ぶ方法をとることが多い。
通常の遺跡では,発掘調査は表土の排土から始まり,遺構・遺物の検出へと進んでいく。その際,現代の耕作や土木建設作業等によって土層の攪乱(かくらん)を大きく受けている表土部分の排土や,発掘調査がほぼ終了したのちの埋め戻しなどの作業では土木建設用の機械を使用することもあるが,発掘作業のほとんどの過程では,排土運搬のベルトコンベヤの使用を除いて,シャベルや鍬,移植ごてなどを用い,人力によって行っている。現在のところ,遺構や遺物あるいは土層等の位置関係をはじめ,遺跡の包含する多様な情報を回収するうえで,人力作業に勝る方法はいまだ開発されていない。
発掘調査の過程と結果は記録にとどめる。記録はおもに文字記録と図像記録からなり,後者には実測図と写真がある。これらの発掘現場での記録と出土遺物とを整理したのち,報告書をまとめて公表する。これによって,初めて発掘者以外の研究者による発掘調査の追体験が可能となり,得られた情報の史料としての評価ができるようになる。発掘調査によって得られた情報が,歴史研究の史料となる道が開かれてこそ,その発掘調査が学問的な作業であったと認めることができる。いっさいの記録を残さず,報告書も公表されない発掘調査があれば,それは発掘者の私的興味を充足しただけのことであって,それを盗掘行為になぞらえても大きな誤りではない。
発掘調査は,それによって解決すべき問題,検証すべき仮説を明確に把握し,その解決と検証を目ざして実施するものである。しかし,現在日本では,この種の発掘調査は年間200件前後に限られ,圧倒的に多いのは年間数千件に及ぶと推定される,いわゆる行政発掘調査である。行政発掘調査は,道路や住宅の建設など各種の国土開発行為によって遺跡が破壊される事態が生じたとき,事前に発掘調査することによって,失われるすべての情報をその遺跡から回収することを目的として実施されるものである。したがって,考古学とは直接関係のない原因によって突発的に実施する必要が生じたものであり,そこから緊急発掘調査と呼ばれることもある。考古学の問題解決のための発掘調査の場合,設定した目標達成に必要な最低限の部分を選び,最小面積を発掘調査するにとどめる。しかし,緊急発掘調査の場合には,その際に回収せねば永久に失われるのだから,すべての情報を回収するため,遺跡あるいはその破壊予定部分の全面を徹底的に発掘調査することとなり,発掘規模も大きなものが多くなる。
現在,日本における発掘調査は,圧倒的に緊急発掘調査が多く,そのための経費はほとんどが発掘調査を必要とする原因となった各種の国土開発工事の側で負担することが原則となっている。1983年度には400億円を超えた全発掘調査費用のうち,1割ほどが文化財保護行政側の負担にとどまっている。さらに付言すれば,研究費から支弁された発掘調査費は,1%にも達しない額と推定される。発掘調査の実施も,かつては大学その他の研究機関が担当したものが少なくなかったが,近年は地方公共団体,あるいはそれらによって設立された発掘調査専当機関に所属する専門職員によるものがほとんどとなりつつある。こうして実施される緊急発掘調査では,その原因となった国土の開発事業の一環に発掘調査が組み込まれ,それらの事業の進行を遅延させぬよう保障することが求められる傾向が強くなっている。そのことは,遺跡からの完全な情報回収,あるいはその遺跡においてのみ可能な問題解決のための努力を軽視する傾向を生じさせている。また考古学研究者が,発掘調査を担当する技術者と,遺跡のもたらす情報によって歴史研究を目ざす研究者とに分離していく危険性をはらんでいる。これまでの日本における考古学研究の大きな特色は,研究者によって提出された仮説が,つねに発掘調査によって,発掘現場で研究者自らの手によって検証され,そこから再び新たな仮説が提出されるという過程を経て進展してきたところにある。発掘調査技術者と研究者の乖離(かいり)は,これまでの調査と研究との連鎖状況を変質させることになるであろう。このあたりに現在の発掘調査,ひいては考古学が抱える最大の問題がある。
→遺跡 →考古学
執筆者:田中 琢
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…考古学は古い時代のみを研究する学問と考えられがちであるが,その取り扱う時代範囲にはなんらの制限もない。実際に北海道では明治期の開拓使関係の遺跡のような新しい遺跡の発掘も行われている。 考古学の属する上位の学問区分については,歴史学とする立場と人類学とする立場とがある。…
※「発掘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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