追放者同盟

世界大百科事典(旧版)内の追放者同盟の言及

【ウィーン体制】より

… 以後その運動はドイツ国外で,とりわけパリとスイスで続けられることとなった。パリでは,1834年ドイツ人民協会を母体とする秘密結社〈追放者同盟〉がつくられる。その闘争目標は祖国ドイツであり,立憲制を含めたあらゆる王制の打倒,民主主義的共和制の樹立がそのスローガンとなった。…

【義人同盟】より

…1830年代の半ば,パリ在住ドイツ人政治亡命者,渡り職人を中心として〈ドイツの再生と解放〉を目的につくられた秘密結社〈追放者同盟Bund der Geächteten〉を母体とし,同結社が左右に分裂した際左派が結集してつくった組織。当初パリを拠点として,フランス社会主義・共産主義各派の影響のもとに出発し,綱領文書《人類,その現状と理想像》(1838年W.ワイトリング執筆)によって財産共有制を旨とするいわゆる〈手工業者共産主義〉を基本的立場にすえる。…

【フェネダイ】より

…法律顧問官の子息としてケルンに生まれ,ボン,ハイデルベルク大学で法律を学ぶ。在学中ブルシェンシャフト運動に参加し逮捕されるが,1832年9月脱獄しパリへ赴き,シュスターTheodor Schusterらとともに義人同盟の前身である追放者同盟を創設。同盟機関誌《追放者》掲載の諸論文にみられる彼の基本的立場は,社会改良によって暴力革命の突発を回避するというものであり,その点で社会革命を主張するシュスターと対立し,この対立が同盟分裂の一因となる。…

※「追放者同盟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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