コープランド

デジタル大辞泉 「コープランド」の意味・読み・例文・類語

コープランド(Aaron Copland)

[1900~1990]米国の作曲家。ジャズアメリカ民謡などの要素を取り入れた明快な作風が特徴。作品に「ビリー・ザ・キッド」「アパラチアの春」など。

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百科事典マイペディア 「コープランド」の意味・わかりやすい解説

コープランド

米国の作曲家。ユダヤ系ロシア移民を両親にニューヨークに生まれる。1921年パリでN.ブーランジェらに師事し,またスペインの大演奏家R.ビニェス〔1875-1943〕にピアノを学ぶ。《オルガン管弦楽のための交響曲》(1924年。1928年に《交響曲第1番》として改訂)で米国楽壇の注目を浴び,クーセビツキーなどと交流。ジャズの語法を取り入れた《ピアノ協奏曲》(1926年)などの不協和音の多い前衛的作風が話題をまく。1930年代に入り,一般聴衆との接点を求め作風を転換。友人チャベスの指揮で初演された管弦楽曲《エル・サロン・メヒコ》(1933年−1936年)で一躍名声を高め,親交の深かったM.グレアムのバレエ団によって上演された《アパラチアの春》(1944年)などのバレエ音楽で米国作曲界の第一人者と目されるに至った。代表作にはほかに,バレエ・リュッス・ド・モンテ・カルロの委嘱によるバレエ音楽《ロデオ》(1942年),ベニー・グッドマンの委嘱による《クラリネット協奏曲》(1947年−1948年),《交響曲第3番》(1944年−1946年)などがある。→ヒナステラ
→関連項目バレエ・リュッス・ド・モンテ・カルロ

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改訂新版 世界大百科事典 「コープランド」の意味・わかりやすい解説

コープランド
Aaron Copland
生没年:1900-90

アメリカの作曲家。両親はユダヤ系ロシア移民でニューヨークに生まれる。1921年,パリでN.ブーランジェに師事,作曲を学んだ。帰国後,ジャズの要素をとり入れた不協和音の多い作品を書いたが,〈あまりにもヨーロッパ的〉と自己批判し,広く民衆の共感が得られる作品を書こうと思った。36年,メキシコの通俗的な旋律による管弦楽曲《エル・サロン・メヒコ》が圧倒的な人気を呼び,次いで《ビリー・ザ・キッド》(1938),《ロデオ》(1942)と《アパラチアの春》(1944)などのバレエ音楽によって国際的にも知られるようになった。20世紀アメリカ音楽を認識させた最初のアメリカ作曲家としての功績は大きい。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コープランド」の意味・わかりやすい解説

コープランド
Copeland, Morris Albert

[生]1895.8.6. ニューヨーク,ロチェスター
[没]1989.5.4. フロリダ,サラソータ
アメリカの経済学者。 1917年アマースト大学を卒業し,21年シカゴ大学で経済学博士号を取得。コーネル大学助教授 (1925~28) を経て,教授 (28~30) 。全米経済研究所 NBER,連邦準備銀行に関与したのち,30~36年ミシガン大学教授。その後,中央統計局長,予算調査局長,全米経済研究所所長を歴任し,49年コーネル大学に復帰。 57年アメリカ経済学会会長。 66~67年ミズーリ大学,69~71年ニューヨーク州立大学オールバニ校に移る。「マネーフロー」という言葉は彼の造語で,この概念の発展・応用に貢献した。主著『アメリカにおけるマネーフローの研究』A Study of Money flows in the United States (52) は資金循環分析の先駆的業績である。経済統計的研究の一方で制度学派を自認し,その分野の著書もある。

コープランド
Copland, Aaron

[生]1900.11.14. ニューヨーク,ブルックリン
[没]1990.12.2. ニューヨーク,ノースターリタウン
アメリカの作曲家。 R.ゴルトマルクに音楽論を学び,1921年パリに留学。 N.ブーランジェ女史のもとで3年間和声と対位法の指導を受け,24年帰国。 30年『ダンス・シンフォニー』 (1925作曲) が RCAビクター賞を獲得。現代音楽の推進者として積極的に活動。作風は『ピアノ協奏曲』 (26) のようにジャズの影響を強く受け,アメリカ民謡や大胆なリズムを用いて,作品に独特の新鮮さを与えている。メキシコの印象を音楽にした『エル・サロン・メヒコ』 (36) や,三大バレエといわれる『ビリー・ザ・キッド』 (38) ,『ロデオ』 (42) ,『アパラチアの春』 (44) ,B.グッドマンの依頼で作った『クラリネット協奏曲』 (48) などが有名。著書に『音楽の聴き方』 (39) ,『現代音楽入門』 (41) などがある。

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朝日日本歴史人物事典 「コープランド」の解説

コープランド

没年:1902.2.11(1902.2.11)
生年:1834.1.10
幕末に来日したアメリカのビール醸造業者。ノルウェー生まれ。ビール醸造を志し米国に渡り,米国籍を取得。元治1(1864)年10月10日来日し,横浜で牛乳販売と運送業を共同で経営する。慶応3(1867)年独立し荷馬車運送業を始め,明治2(1869)年山手に2480坪の土地を借り,この一角にビール醸造所を建てる。競争相手のウィーガンドと激しい販売合戦を繰り広げたのち,9年に両者は合併し独占を狙うが12年にけんか別れ。人体に有害な薬品を使用したとの内部告発で売り上げは落ち,17年醸造所は公売される。22年勝俣ウメと再婚し,グアテマラで日本特産品店を開くがこれにも失敗,35年1月病いで帰国し翌月に没。

(澤護)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「コープランド」の意味・わかりやすい解説

コープランド
こーぷらんど
Aaron Copland
(1900―1990)

アメリカの作曲家。生地ニューヨークに学んだのち、1921~24年パリに渡り、ナディア・ブーランジェに師事し、認められる。帰国後ブーランジェを独奏者に迎えての『オルガン交響曲』の初演(1925)で名声をあげ、以来アメリカ音楽界の重鎮として活躍。アメリカ民謡、ポピュラー・リズムを用いた明快ではでな作風は、ミヨー、ストラビンスキーらの影響を感じさせ、50年代以降の十二音技法を用いた作品よりも、それ以前の『ビリー・ザ・キッド』(1938)、『ロデオ』(1942)、『アパラチアの春』(1944)などのモダン・バレエのための作品、管弦楽曲『エル・サロン・メヒコ』(1937)などが愛好されている。

[細川周平]

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ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者) 「コープランド」の解説

コープランド

アメリカ合衆国の作曲家。ニューヨークに生まれ、同地で亡くなる。ユダヤ系ロシア人の両親の5番目の子どもとして育った。『Our New Music』というタイトルの自伝を1941年に出版している。この書 ...続き

出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「コープランド」の解説

コープランド Copeland, William

1834-1902 アメリカのビール製造技師。
1834年1月11日ノルウェー生まれ。元治(げんじ)元年(1864)来日。明治2年ごろ横浜居留地にビール工場スプリング-バレー-ブルワリー(清水谷醸造所)を設立。居留地の外国人などに愛飲されたが,18年工場を譲渡した。明治35年2月11日横浜で死去。68歳。

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ASCII.jpデジタル用語辞典 「コープランド」の解説

コープランド

「Copland」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内のコープランドの言及

【ファンファーレ】より

…ベートーベンの《フィデリオ》第2幕など,オペラにしばしば用いられる。現代の代表作としてはコープランドの《市民のためのファンファーレ》(1942)があり,これは1984年ロサンゼルス・オリンピック閉会式でも奏されてポピュラーになっている。【保柳 健】【鴇田 信男】。…

※「コープランド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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