逍遥園跡(読み)しようようえんあと

日本歴史地名大系 「逍遥園跡」の解説

逍遥園跡
しようようえんあと

[現在地名]小松町新屋敷 御殿

小松陣屋の南側にあった庭園。二代藩主一柳直治が八年がかりで完成したもので、御殿(陣屋)と同じくらいの広さがあったとされる。一帯楠陵くすおかとよんだというが、これは直治が楠陵と号したのと関連があると思われる。また庭園はお山荘とよばれたが、高鴨神社文書によると御山屋敷ともよんでいたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 調練場 梅園

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む