周桑郡
しゆうそうぐん
面積:二〇六・一〇平方キロ
小松町・丹原町
東予地方の東部に位置する。東は西条市・東予市に、南は上浮穴郡面河村に、西は温泉郡川内町・重信町に、北は東予市と、一部が越智郡玉川町に接する。周桑平野の西南部と、南部の石鎚山から西部の東三方ヶ森にかけての山間部とからなり、南部は石鎚山の北斜面でとくに奥深い山谷となっている。昭和四七年(一九七二)に東予市が分離したため海には面しない。中山川が温泉郡川内町に発源して北流し、丹原町の山谷を東流、平野に出て丹原・小松両町境を東北に流れ、西条市を経て燧灘に流入し、古来灌漑用水として利用されてきた。国道一一号が中山川に沿って山麓を東西に走り、中山越をして川内町を経て松山市に至る。国鉄予讃本線は小松町の東北部を通って北に曲り、東予市内を通過する。
周桑郡は明治三〇年(一八九七)四月、古来の周布・桑村両郡を併せて、初めて周桑郡として発足したもので、郡域には現東予市・丹原町・小松町を含んでいたが、昭和四七年一〇月一日に東予市が分離して現郡域となった。以下、周布・桑村両郡全域の歴史の推移を概説する。
〔原始・古代〕
東予市から丹原・小松両町にかけての山麓一帯に、周布郡山麓原始文化圏とでもよぶべき多くの遺跡・遺物がみられる。丹原町では願連寺字扇田から中細形銅剣が出土し、古田字松の木からは銅剣数口が出土し、古田から徳能にかけては弥生時代各期の土器片が多数出土し、古田字上の山からは鉄剣型石剣が発見されている。小松町では仏心寺遺跡を中心に縄文時代遺物が出土し、また舟山古墳群・大日裏山古墳群・大頭古墳群などがある。
当地域には周敷・桑村の二郡が置かれていたが、「和名抄」には「周敷郡 田野 池田 井出 吉田 石井 神戸 余戸 桑村郡 籠田 御井 津宮」と、周敷郡に七郷、桑村郡に三郷があり、さらに両郡の郷には、周敷と桑村の二郷があったともいう。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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