那須衆(読み)なすしゅう

精選版 日本国語大辞典の解説

なす‐しゅう【那須衆】

中世、下野国那須郡を根拠とした武士七家の連合組織。烏山の那須氏を中心に、支族、蘆野氏・福原氏・千本氏・伊王野氏と、武蔵丹党の出である大関氏・太田原(大俵)氏が党を組織して活躍した。那須七党。江戸時代には、幕府に仕えて交替寄合に任ぜられた、那須氏・福原氏・蘆野氏・太田原氏の四家をいう。

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世界大百科事典内の那須衆の言及

【交代寄合】より

…隔年か数年ごとに参勤交代をし,江戸城中では帝鑑間,柳間に席を占めた。表御礼衆20家(うち1家は1836年より新規),那須衆4家,美濃衆3家,信濃衆3家,三河衆2家に分かれ,ほかに2家があった。制度的起源はつまびらかではない。…

【下野国】より

…やがて82年(文明14)11月関東は一時小康状態を得るが,扇谷・山内両上杉氏の内紛や,それに乗じた北条早雲の小田原攻略によって再び収拾のつかない混乱に陥った。 すなわち下野北部の大関,大田原,千本,那須などの那須衆,中部の塩谷,芳賀,宇都宮などの宇都宮衆,南部の佐野,小山,壬生,足利長尾,渋川などの諸豪族が互いに連携対立をくりかえし,さらに古河公方(足利晴氏・義氏)をはじめ,北からは蘆名氏,白川結城氏,東からは佐竹氏,西からは上杉氏,武田氏,南からは後北条氏などの外部勢力が介入し,外戦内訌をくりかえした。とりわけ後北条氏は天正年間(1573‐92)壬生,小山,佐野,長尾の各氏を屈伏させ,関東一円を制圧する勢いを示した。…

※「那須衆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報