那須氏(読み)なすうじ

改訂新版 世界大百科事典 「那須氏」の意味・わかりやすい解説

那須氏 (なすうじ)

下野国那須郡本拠とした中世武家。那須国造の子孫とも,藤原氏の系譜を引くものともいわれているが,詳細は不明である。治承・寿永の内乱においては源氏に味方をした。源義経軍に加わり,屋島の戦で活躍した那須与一は著名である。鎌倉時代以降,烏山の那須氏を宗家として,芦野氏,福原氏,千本氏などを分出し,党的結合をもって活動した。室町時代には足利氏に仕えたが,戦国争乱期には烏山城に拠って,那須郡,塩谷郡など下野東北部を支配下におさめ,支族福原氏と協力して近隣諸士の侵攻を防いだ。那須資晴(1556-1609)のとき,勢力を最も強め,佐竹氏,宇都宮氏などと対立した。資晴は,豊臣秀吉小田原攻めに遅参して領地を没収され,一時不振となったが,関ヶ原の戦後は,徳川氏に仕えて家名を挽回した。江戸時代は1000石の旗本である。
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世界大百科事典(旧版)内の那須氏の言及

【烏山[町]】より

…城は酒主村の西方台地にあり,那珂川を眼下に望む要害の地である。この城は那須氏によって伝領支配されてきたが,1590年(天正18)豊臣秀吉による関東制圧のとき,城主那須資晴は追放され,以後,成田,松下,堀,板倉,那須,永井,稲垣と激しい城主交替を続けたが,1725年(享保10)大久保氏が2万石(のち3万石)で入封し廃藩置県に至った。そのなかで1672年(寛文12)に就封した板倉氏の治世期間は9ヵ年にすぎなかったが,給人地方知行制の廃止や寺院,町人屋敷を郭外に移す区画整理を断行した。…

【下野国】より

…一方,上杉氏は守護国上野,武蔵などの一揆勢力を基盤とし,おおむね利根川をはさんで対峙した。成氏方には小山持政,那須資持(下那須),宇都宮明綱,茂木持知ら,上杉方には宇都宮等綱,那須氏資(上那須),茂木知行らが味方した。幕府は58年(長禄2)反成氏戦線の最終的権威づけとして,足利政知を伊豆に下した。…

※「那須氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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