日本歴史地名大系 「郡殿庄」の解説
郡殿庄
こおりどののしよう
鎌倉中期の簡要類聚鈔(京都大学蔵一乗院文書)の一乗院の「十二ケ所御領」のうちに「郡殿」とみえ、「池田」「南淵」両庄とともに「三ケ庄」となっている。応永六年(一三九九)の興福寺造営段米田数帳(春日神社文書)の添上郡には「一乗院方 郡殿庄十六町三十歩」とある。この面積は寺門段銭・段米の賦課面積であるが、郡殿庄の一応の規模はうかがえよう。所在は未詳だが、「大乗院雑事記」の寛正四年(一四六三)三月六日条に「大宅寺領帯トキ橋事、先年一乗院郡殿庄下司辰市東与大宅寺下司山村相論子細在之(下略)」とあり、これによると、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報