日本歴史地名大系 「今市村」の解説
今市村
いまいちむら
- 栃木県:今市市
- 今市村
今市扇状地の中央部、北西から南東へ下る比較的平坦な地を占める。東流する
元禄九年(一六九六)の町の長さ六町、家数一八六(うち問屋一・年寄八・馬指役一・馬役一〇七・歩行役六九)で、その他三七軒の水呑が歩行役半役を勤めた。馬一〇七。同八年には日光への御用通行に当宿では延べ人足一万三千五五〇人・馬一万八千六六〇疋を動員し、助郷寄人馬は人足一千四四人・馬一千九二疋となっている(「今市村高并道法改帳」文挟富司文書)。
今市村
いまいちむら
- 島根県:出雲市
- 今市村
出雲平野の中央、現出雲市の中心部にあり、
今市村
いまいちむら
今市村
いまいちむら
今市村
いまいちむら
今市村
いまいちむら
今市村
いまいちむら
今市村
いまいちむら
神通川下流左岸、
今市村
いまいちむら
今市村
いまいちむら
今市村
いまいちむら
今市村
いまいちむら
今市村
いまいちむら
今市村
いまいちむら
今市村
いまいちむら
今市村
いまいちむら
今市村
いまいちむら
今市村
いまいちむら
今市村
いまいちむら
享保九年(一七二四)の和州御領郷鑑(柳沢文庫)によると、反別二六町二反二畝歩、家数九七(本百姓六五、水呑三二)、人数四三二(男一九八、女二三一、僧三)、大工二、紺屋一、鍛冶屋一、塗師一、表具師一、穀物口入屋三、米売一、肥米売一、金物商一、茶屋旅籠屋二、牛八、馬二、除地は庄屋屋敷・浄土真宗
今市村
いまいちむら
今市村
いまいちむら
岩木川の西側堤防に沿って発達し、北は支村の「今市」に続き、田圃を隔てて西に
天保一三年(一八四二)の
今市村
いまいちむら
今市村
いまいちむら
- 滋賀県:守山市
- 今市村
今市村
いまいちむら
今市村
いまいちむら
今市村
いまいちむら
今市村
いまいちむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報