日本歴史地名大系 「野呂郷」の解説 野呂郷のろごう 山梨県:東八代郡一宮町南野呂村野呂郷現一宮町北野呂・南野呂周辺から現勝沼(かつぬま)町南部にかけての一帯に比定される。「和名抄」所載の山梨郡野呂郷の流れを汲む。天文二四年(一五五五)九月五日の柏尾山造営勧進状案(大善寺文書)に「野呂郷」とみえ、三枝守国が流罪となったのち当地に落着き、大善(だいぜん)寺(現勝沼町)を開いたという。永禄四年(一五六一)の番帳の一七番に「野呂の禰宜」とみえ、府中八幡宮に勤仕することが命じられているが、勤番社は現南野呂の大宮(おおみや)神社にあたると考えられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by