南野呂村(読み)みなみのろむら

日本歴史地名大系 「南野呂村」の解説

南野呂村
みなみのろむら

[現在地名]一宮町南野呂

川と京戸きようど川の複合扇状地に位置し、西は中尾なかお村、東は下岩崎しもいわさき(現勝沼町)。古くは北野呂村などとともに野呂郷に含まれたと考えられる。慶長古高帳に南野呂とみえ高四二三石余、幕府領。貞享二年采地簿(臆乗鈔)には旗本城氏がみえる。同氏は寛永一一年(一六三四)に宛行われたと考えられ(「寛政重修諸家譜」など)、元禄郷帳では同家領と橋立はしたて明神領。宝永二年(一七〇五)以降の領主変遷金田かねた村に同じ。

享保九年(一七二四)の村明細帳(金子幸男家文書)によると、同三年の甲府藩の検地高四八一石余、新検出高は五七石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ユーラシア大陸、北アメリカ大陸北部に広く分布し、日本では北海道にエゾヒグマが生息する。成獣は体長2メートル以上、体重300キロにもなり、日本最大の陸生動物として知られる。雑食性で草や木の実、サケ、シ...

ヒグマの用語解説を読む