一宮町
いちのみやちよう
面積:三〇・一〇平方キロ
甲府盆地の東部、郡の北東部に位置し、金川・日川・京戸川・大石川・御手洗川などの扇状地から形成されている。東は京戸山系と大積寺山系を経て大月市に接し、西は笛吹川を境に石和町、南は金川を越え御坂町、ほぼ日川を境に北東は東山梨郡勝沼町、北は山梨市である。町域の四四パーセントが山林、三六パーセントが耕地、道路と河川が二〇パーセントを占める。町の南部を中央高速道、中心部を勝沼バイパスが縦貫している。
旧石器時代の遺跡は釈迦堂遺跡群の塚越北A地区があり、ナイフ形石器、スクレーパー、ブレード、ドリルなどが出土した。縄文時代草創期にかけては槍先形尖頭器が出土した笠木地蔵遺跡がある。早期は釈迦堂遺跡群の塚越北AおよびB地区で神ノ木台式期、三口神平地区で下吉井式期の集落がそれぞれ発見されている。前期では黒浜式併行期および諸磯a期・b期の集落が発見された釈迦堂遺跡群の塚越北A地区がある。中期の遺跡は多いが、なかでも釈迦堂遺跡群から大規模集落が発見されている。住居跡は中期初頭の五領ヶ台式期から後葉の曾利式期まで認められるが、大半は曾利式期のものである。また同遺跡群からは一千一一六個体にも及ぶ土偶が出土しており国の重要文化財に指定された。北堀遺跡でも曾利式期の住居が発見されている。後期・晩期の遺跡は少ない。釈迦堂遺跡群の塚越北B地区で後期初頭の住居跡が調査されている。豆塚遺跡では晩期の清水天王山式土器が主体的に出土し注目される。
弥生時代の遺跡は京戸川扇状地先端部から御手洗川・田草川および日川の沖積地にかけて確認されている。鞍掛遺跡では後期の竪穴住居跡が発見された。中尾条里遺跡群のうち亀沢遺跡では後期の水田遺構が初めて発見され、北宮海道遺跡では溝状遺構が検出されている。松原遺跡・矢倉遺跡・金山遺跡などでは古墳時代前期の集落が確認され、田村遺跡では当県初の方形周溝墓が発見された。中期の遺跡はわずかだが大原遺跡で集落が調査され、石製模造品と多量の土器やミニチュアを一括廃棄した祭祀遺構が発見され注目される。後期になると大原遺跡や鞍掛遺跡で集落が発見され、金川沿岸の自然堤防上や京戸川扇状地などに国分古墳群、四ッ塚古墳群、楽音寺古墳群、千米寺・石古墳群などの大規模な群集墳が分布するが、四ッ塚古墳群で二二基、国分古墳群で六基、千米寺・石古墳群で二基が調査されている。
一宮町
いちのみやちよう
面積:二一三・八四平方キロ
宍粟郡北東部に位置し、揖保川の最上流域一帯を占める山間地。北は養父郡大屋町、東は朝来郡朝来町・生野町、神崎郡大河内町、南は飾磨郡夢前町、安富町・山崎町、西は波賀町に接する。町域はほぼ東西一七・二キロ、南北二四・七キロで、面積は県下で神戸市・姫路市に次ぐ。千町ヶ峰(一一四一・三メートル)をはじめとして標高一〇〇〇メートルを超える山々が町域を囲み、林野面積は九三パーセントに及んでいる。町内を南流する揖保川には公文川・引原川・染河内川など多くの支流が流れ込む。農林業主体の農山村地帯であるが、製材・製炭・製茶・製麺などの加工業も盛んで、電気機械企業などの下請工場も多い。
一宮町
いちのみやちよう
面積:四〇・一五平方キロ
津名郡西部に位置する。北東は北淡町、東は津名町、南は五色町に接し、北から北西にかけては播磨灘に面する。北東から南西に連なる津名丘陵の中央部西側を占め、南端に竜宝寺山(二五四・八メートル)がある。同丘陵部から流れ出る新川・郡家川・山田川などが北西流もしくは北流して海に入る。町域は起伏の多い丘陵地とこれらの河川により形成された平地からなる。西浦の海岸沿いを北東から南西に県道福良―江井―岩屋線が走り、県道津名―一宮線、同多賀―洲本線が南へ分岐する。北東部を南北に神戸淡路鳴門自動車道が縦断し、津名町境には津名一宮インターチェンジが設けられている。
一宮町
いちのみやまち
面積:二三・〇二平方キロ
長生郡の東部を占め、東は太平洋が広がる。北は長生村、西は睦沢町、南は夷隅郡岬町と接する。北部を一宮川が東流する。ほぼ南北にJR外房線、国道一二八号が通る。町名は「延喜式」神名帳にみえる玉前神社が上総一宮とされたことに由来し、中世の玉前庄のち一宮庄は長柄郡のほぼ全域を庄域としたとされ、古代以来の中心であった。
一宮町
いちのみやちよう
面積:三六・五四平方キロ
本宮山の南斜面から豊川右岸にわたる地。北は額田郡額田町、東は新城市・豊橋市、南から西にかけては豊川市にそれぞれ接する。
明治二二年(一八八九)東上・江島・上長山・松原の四ヵ村が本茂村、一ノ宮・大木・西原・足山田・篠田の五ヵ村は桑富村となった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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一宮〔町〕
いちのみや
千葉県中東部,九十九里浜南端の一宮川河口にある町。 1890年町制。 1953年東浪見 (とらみ) 村と合体。加納氏1万 3000石の城下町,玉前神社の門前町として発展。現在は地方商業の中心地となっている。トマト,キュウリをはじめメロン,スイカなどの施設園芸が盛ん。重要文化財の梅樹双雀鏡 (ばいじゅそうじゃくきょう) を所蔵する玉前 (たまさき) 神社の上総裸祭は有名。 JR外房線が通り,海浜は海水浴場に好適。海岸一帯は九十九里県立自然公園に属する。面積 22.99km2。人口 1万1897(2020)。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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