野崎名
のざきみよう
中世の名田名。田布施郷のうち。尾下地内の野崎原が遺称地と推定される。野崎村ともみえる。南北朝期に渋谷氏が当地に城を築いたが、貞和二年(一三四六)南朝方の伊集院忠国軍が城近くの貝柄崎に集結したとの報があり、渋谷一族は残らず城を捨てて引返したという(同年九月四日「島津道恵等連署注進状案」伊作氏系図)。永正一〇年(一五一三)八月二一日、島津運久は田布施野崎名内の「十石薗之門 田数二町」を坊津智徳院(現坊津町)に銭二〇貫文で売渡している(「島津一瓢沽券」島津友久・忠幸系図)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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