日本歴史地名大系 「金峰町」の解説 金峰町きんぽうちよう 鹿児島県:日置郡金峰町面積:七二・二五平方キロ薩摩半島の中西部、日置郡の最南端に位置する。北は吹上(ふきあげ)町、北東は鹿児島市,東から南東は標高三〇〇メートル以上の山地によって川辺郡川辺町と、南は万之瀬(まのせ)川を隔てて加世田市と境を接しており、西は東シナ海に面している。町の北部には金峰山(六三六・三メートル)がそびえ、山頂からは吹上浜・野間(のま)岳(五九一メートル)・桜島を眺望できる。旧石器時代の遺物は宮崎の小中原(みやざきのこなかばる)遺跡からナイフ形石器が、尾下の山野原(おくだりのさんやばる)遺跡から細石刃・細石刃核が出土している。縄文時代、海は現在の平野部にまで入っていたらしく、宮崎の阿多(あた)貝塚・上焼田(かみやきた)貝塚遺跡からはハマグリが多く出土している。早期・前期の古い遺跡は大坂(だいざか)など内陸部にもある。後期・晩期には海岸近くに定着的集落がつくられる。大野の南原(おおののみなみばる)A遺跡からは市来式土器を主体とした多くの土器が出土しており、尾下台地では晩期の土器が多く出ている。稲作農耕が最も早く入り定着したのもこの平野だった。中津野の下原(なかつののしもはら)遺跡では朝鮮半島系の無文土器や縄文晩期末の夜臼式土器に伴って籾痕土器・石包丁などが出ており、高橋(たかはし)貝塚では弥生時代前期の土器とともに多くの稲作農耕の定着を示す石器などが出土している。中期・後期にも北九州系の合せ口甕棺が見つかった高橋の下小路(しもしようじ)、溝で集落を区切った尾下の松木薗(まつきぞの)などの遺跡がある。古墳時代には海岸近くの新山(にいやま)・宮崎・中津野・尾下などの台地で多くの遺跡が見つかっており、大きな集落がつくられたようである。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by