日置郡(読み)ひおきぐん

日本歴史地名大系 「日置郡」の解説

日置郡
ひおきぐん

面積:四六五・五八平方キロ
金峰きんぽう町・吹上ふきあげ町・日吉ひよし町・松元まつもと町・伊集院いじゆういん町・郡山こおりやま町・東市来ひがしいちき町・市来いちき

薩摩半島の北部西側に位置し、吹上浜で東シナ海に面する。北は串木野市・薩摩郡および姶良あいら郡、東は鹿児島市と鹿児島郡、南は川辺郡と加世田市に接する。東と北は山地、南は万之瀬まのせ川に区切られる。近世の郡域は北は薩摩郡、東は鹿児島郡・谿山たにやま郡、南は阿多あた郡に接し、現在の日置郡から金峰町の全域と吹上町の一部を除いた地域と、串木野市・鹿児島市の一部にあたる。なお近世前期はヘキ(ヘギ)と称したとも考えられる(列朝制度)

〔古代・中世〕

和名抄」東急本国郡部は「比於支」と訓を付し、富多とみた納薩なさつ合良あいら三郷からなる。天平八年(七三六)の薩摩国正税帳(正倉院文書)にみえる隼人十一郡の一。「鹿児島県史」によれば、当郡は薩摩郡日置郷と隣接し、薩摩郡から分置されて成立したとされる。古代の郡域は明らかでないが、現在の市来町・東市来町伊集院町松元町郡山町・日吉町にあたるとする説がある。平安時代後期、当郡には伊集院市来院、さらに日置庄・日置北ひおきほく(現日吉町)日置南ひおきなん(現吹上町)が成立し、日置郡はその実態を失った。薩摩国建久図田帳にも郡名の記載はない。以下近世の郡域における中世の様子をみると、伊集院・市来院・日置北郷日置南郷のほか、時吉ときよし名内の串木野、成枝なりえだ名内の荒河あらかわ羽島はしま(現串木野市)などがあり、満家みついえ院の一部も含まれていた。平安時代以来の領主は、市来院など北部では国衙近傍に位置したところから在庁官人ないしは薩摩国分寺・新田神社に関係する者であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報