日本歴史地名大系 「尾下村」の解説 尾下村おくだりむら 鹿児島県:日置郡金峰町尾下村[現在地名]金峰町尾下万之瀬(まのせ)川の支流堀(ほり)川の中流域から東の金峰山にかけて位置する。東は鹿児島郡谷山(たにやま)郷下福元(しもふくもと)村(現鹿児島市)、南は阿多(あた)郷宮崎(みやざき)村・中津野(なかつの)村・浦之名(うらのみよう)村および河辺郡川辺郷神殿(こうどの)村(現川辺町)と境を接している。金峰山の本(もと)岳(六三六・三メートル)は当村と池辺(いけべ)村に、東(ひがし)岳は尾下村に属した。中世は阿多北方の田布施(あたきたかたのたぶせ)郷に属し、野崎(のざき)名などがあった。近世には尾下麓の亀(かめ)ヶ城跡西方に地頭仮屋が置かれ、田布施郷の行政の中心となっていた。伊作(いざく)筋が村の南北を通る。 尾下村おくだりむら 熊本県:阿蘇郡高森町尾下村[現在地名]高森町尾下高森町の北東部にある明治九年(一八七六)成立の村名。東は豊後国直入(なおいり)郡、西は中(なか)村、北は河原(かわら)村、南は津留(つる)村・野尻(のじり)村に接する。牧戸(まきど)川上流の阿蘇外輪山東斜面に位置し、近世には上流から尾下村・牧戸村と並ぶ。文明一六年(一四八四)八月二八日の阿蘇十二社同霜宮最花米注文(阿蘇家文書)に「まきとお一とう まめ一と」「たゝ野を一とう 大豆一斗」「かた山を一とう まめ一斗」「まわたりおひとゝう まめ一斗」「ときとをのを一とう まめ一斗」が記され、近世の牧戸村および尾下村の小村である多々野(たたの)・片山(かたやま)・馬渡(まわたり)・時藤野(ときとうの)にあたる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by