日本歴史地名大系 「金井窪村」の解説 金井窪村かないくぼむら 東京都:板橋区金井窪村[現在地名]板橋区大山金井町(おおやまかないちよう)・大山東町(おおやまひがしちよう)・板橋二丁目下板橋村の南東に位置し、村内を大塚・雑司ヶ谷(ぞうしがや)より中山道へ通じる道が通る。金井久保村とも記される(風土記稿)。当村のうちで、寛永二年(一六二五)旗本斎藤重成が四一石余、同木村宗綱が一〇石余、同水野信秀が四一石余を宛行われている(記録御用所本古文書)。田園簿では田方六三石余・畑方五六石余で、旗本斎藤領四〇石・同水野領四〇石・同木村二家領二〇石、幕府領二〇石の相給。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by