デジタル大辞泉
「大塚」の意味・読み・例文・類語
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出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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大塚
おおつか
高井の南部の樋口(古くは出百とよばれた)にあり、いまは波賀部神社の境内となっている。周囲に堀をめぐらし、その土砂を利用して構築された前方後円墳。全長六二メートル、前方部幅二八メートル、同比高六・一メートル、後円部径二八メートル、同比高六・七メートルある。前方部がほぼ西面を向き、後円部の南半に波賀部神社の本殿が建てられているので、後円部の半分は切り崩され、河原石を積み上げてつくった石室の側壁と思われる部分がわずかに残っている。この地から出土した平瓶・円筒埴輪・須恵器などによって、古墳後期のものであることが判明する。
大塚
おおつか
宝永三年(一七〇六)の中曾根村・栗林村差出帳に「一、一二七貫七八七文 中曾根村・大塚・赤石」として、大塚の名がみえている(上田藩村明細帳)。また元和八年(一六二二)の上田領石高帳(若林勅滋氏蔵)や、天保五年(一八三四)の天保郷帳には、「栗林・大塚・中曾根」として大塚が記されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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大塚
おおつか
東京都豊島区(としまく)東部から文京区北西部にまたがるJR山手(やまのて)線大塚駅を中心とする地区。山手台地にあり、長く農地であったが、1903年(明治36)大塚駅開設により発展した。1911年王子電気軌道(現、都電荒川線)が飛鳥山(あすかやま)間に、1925年(大正14)鬼子母神(きしぼじん)間に開通、山手線沿線屈指の繁華街となり、遊興街やデパートの開設をみた。しかし、第二次世界大戦後は池袋の発展に伴い、さびれて昔日のおもかげはない。南部の文京区に属する地域は、市制施行以来山手の文教地区、住宅地として発展し、現在、豊島ヶ岡皇族墓地、護国寺(ごこくじ)、お茶の水女子大学、跡見(あとみ)学園、筑波(つくば)大学附属中学校・高等学校などがある。
[沢田 清]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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大塚
おおつか
東京都文京区西部から豊島区南東部にかけての地区。南部の台地上は,関東大震災後に住宅街となった。お茶の水女子大学などがあって,文教地区としての色彩が強い。護国寺がある。北部の低地には JR大塚駅があり,その周辺は商業と住宅の混在地域。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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