金倉郷(読み)かなくらごう

日本歴史地名大系 「金倉郷」の解説

金倉郷
かなくらごう

和名抄」高山寺本は郷名を欠き、東急本は訓を欠く。のち奈良東大寺に便補の金倉保、近江園城おんじよう寺に寄進された下金倉郷、金倉上庄がみえる。金倉保は安元元年(一一七五)八月七日の東大寺領文書請文(早稲田大学所蔵文書)や建久一〇年(一一九九)の文書出納日記(東大寺文書)などによると、仁安三年(一一六八)国司の許可を受けて金倉郷内に立てられ、領主の尼浄覚の寄進によって成立した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む