朝日日本歴史人物事典 「金沢嘉兵衛」の解説
金沢嘉兵衛
江戸後期の海浜干拓技術者。播磨国加古郡高砂船頭町(兵庫県高砂市)の人。天保9(1838)年ごろ,同郡池田村地先の海浜の干拓を企画,印南郡砂部村(加古川市)の金沢九郎平と協力,知己の間柄であった加東郡太郎太夫村(小野市)の大名貸,近藤亀蔵から資金援助を受けて着工,同11年,耕地79haの干拓地造成に成功して金沢新田と命名。約3420mの防潮堤の構築には高度の技術を要し,総工費は銀1200貫におよんだ。さらに両人は同10年姫路藩命を受けて飾西郡広畑村(姫路市)地先の干拓に着手,同12年に竣工。資金は銀800貫,造成地面積約85ha,沖新鶴場新田と命名。これらの新田は資金提供者である亀蔵の所有となった。<参考文献>大林雄也『大日本産業事蹟』(平凡社『東洋文庫』)
(葉山禎作)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報