鐙塚村(読み)あぶづかむら

日本歴史地名大系 「鐙塚村」の解説

鐙塚村
あぶづかむら

[現在地名]佐野市鐙塚町・栄町さかえちよう

越名こえな沼の西に位置し、西は浅沼あさぬま村。元和元年(一六一五)より「鐙塚」内の二七石が惣宗そうしゆう寺領となった(「寺領朱印之事」惣宗寺文書)。同八年の本多正純改易後は幕府領であったが、寛永一〇年(一六三三)より下総古河藩領。正保二年(一六四五)の年貢目録(山崎光三文書)では高一〇五石余、田三町六反余・畑一九町五反余。慶安郷帳では田高三六石余・畑高六八石余・野銭四五石。元禄一一年(一六九八)三月の村明細帳(山崎光三文書)では惣宗寺領を除いた高は一六一石余。同年七月に旗本堀田領となり、一〇月の年貢割付状(同文書)では一八二石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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