デジタル大辞泉
「佐野市」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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佐野市
さのし
面積:八四・九一平方キロ
県の南西部に位置し、市域の北部に足尾山系南縁部が迫り、中央部・南部は関東平野の北縁部にあたる。東は下都賀郡岩舟町・藤岡町、北は安蘇郡田沼町、西は足利市、南は渡良瀬川を隔て群馬県館林市。足尾山系から流れ出る秋山川(旧佐野川)が中央を、才川・旗川・出流川が西部を、三杉川が東部を南流して渡良瀬川に注ぐ。三杉川下流には越名沼があったが、昭和四〇年(一九六五)までの干拓工事で消滅し水田化された。東端を東北自動車道が南北に走り、西浦町の佐野藤岡インターチェンジで南部を東西に走る国道五〇号バイパスと結ぶ。市中央の佐野駅を中心に東西にJR両毛線、南北に東武佐野線が通る。
〔原始・古代〕
先土器時代の遺跡は三毳山(二二五メートル)の麓から越名沼周辺に集中しており、平木山遺跡の刃器状剥片、原遺跡の掻器、上林遺跡の尖頭器、下林遺跡・伊勢山遺跡のナイフ形石器などの出土例が報告されている。縄文時代の遺跡は市域の北西部(出流原を中心とする地域)と東部(旧越名沼周辺地域)に集中しており、早期から晩期にかけての遺跡が存在する。前期の遺跡数は二〇を数えるが、規模はあまり大きくない。中・後期になるにしたがい数は減少するが、大規模な遺跡が多くなる。晩期の遺跡は現在までに出流原・北の内・本郷の三遺跡が確認されたのみで、いずれも中・後期の複合遺跡。弥生時代の出流原遺跡は中期頃の再葬墓群として有名。堀米遺跡からは後期末葉の台付甕形土器が、北の山遺跡からは後期後半の土器が出土。古墳は二〇〇基程度存在していたと考えられるが、現在、確認されているのは一六〇基余。おもに三杉川・秋山川・旗川・出流川の流域に分布している。とくに旗川流域に全体の約七〇パーセントが存在し、旗川と出流川の間の低丘陵と洪積台地上に群集している。各流域のものを合計すると円墳一一七・方墳四・前方後円墳四(一基は推定)が確認されている。市域最古の古墳は八幡山古墳で、関東では極めて珍しい三角板革綴式の短甲一領が出土。そのほか金銅製の馬具が出土した米山東古墳や五箇古墳・トトコチ山古墳などがある。古墳の副葬品を製造した唐沢山ゴルフ場埴輪窯跡がある。
律令制下には安蘇郡・足利郡に属し、「和名抄」にみえる安蘇郡四郷のうち安蘇郷・意部郷と麻続郷の一部が当市域に比定される。東山道が市域を東西に通り、駅路は現在の県道岩舟―桐生線と大差ないと考えられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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佐野〔市〕
さの
栃木県南西部,渡良瀬川下流部北岸から足尾山地南麓に広がる市。東隣の栃木市北西部に飛び地がある。 1943年佐野町,犬伏町,堀米町の3町と植野村,界村,旗川村の3村が合体して市制。 2005年田沼町,葛生町と合体。中心市街地の佐野は佐野氏が慶長7 (1602) 年春日岡に築城して以来城下町として発達。近世には日光例幣使街道の宿場町,渡良瀬川の支流秋山川の谷口にある市場町としても繁栄。関東周縁の機業の一中心地として繊維工業が盛んなほか,山あいではセメント,ドロマイトの生産,製材が行なわれる。瓦,鋳物工業もある。 1968年に工業団地が完成し,機械工業などの近代工業が増加した。農業は和牛,ブタの飼育,イチゴ,コンニャク,ワサビ,シイタケの栽培が行なわれる。掛軸,羽子板,鯉のぼり,人形などを特産する。国の重要文化財の木造エラスムス立像を所蔵する竜江院,田中正造邸宅などがある。市域の一部は唐沢山県立自然公園に属する。東武鉄道佐野線,国道 293号線,東北自動車道が通る。面積 356.04km2。人口 11万6228(2020)。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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