栄町(読み)さかえまち

日本歴史地名大系 「栄町」の解説

栄町
さかえまち

面積:三二・四六平方キロ

郡の北東端に位置。北は利根川、南は将監しようげん川・長門ながと川などが流れ、町域東部南端は印旛沼に面する。東は成田市、南は長門川・将監川などを境に本埜もとの村・印西いんざい市、利根川対岸は茨城県稲敷いなしき河内かわち村・北相馬きたそうま利根とね町。JR成田線・国道三五六号が通る。昭和五〇年代からのあじき台あじきだいニュータウンの造成に伴い発掘が進められたあじき台遺跡は縄文時代前期から弥生時代・古墳時代にわたる住居跡・集落跡などが検出された。ほかに前方後円墳三五基・円墳七一基・方墳五基が確認されている龍角寺りゆうかくじ古墳群が知られ、五世紀より七世紀末に及ぶ造営という。天台宗の古刹龍角寺は八世紀前半の創建と伝え、本尊薬師如来坐像は関東最古に属するとされる。


栄町
さかえまち

面積:四五・七五平方キロ

南蒲原郡の南部に位置し、大半は肥沃な平野で、東は東山丘陵により下田しただ村、西は刈谷田かりやだ川を挟んで中之島なかのしま村、北は三条市、南は見附市と接する。当町域は近世には慶長三年(一五九八)より新発田藩領となり、南東部の村々は大面組に、北西部の村々は中之島組に組織された。その後同藩の分家創立や上知によって幕府領、村上藩領、陸奥白河藩(のち伊勢桑名藩)預地となる村もあって領知の変遷は著しい

明治二二年(一八八九)町村制施行により、大潟おおがた村・四王しおう村・帯織おびおり村・福多ふくだ村・鬼木おにぎ村・尾崎おさき村・五加ごか村・小古瀬おごせ村が成立。同二四年小古瀬村が大和やまと村と改称。同三二年大潟・四王両村が合併、大潟村となる。


栄町
さかえちよう

[現在地名]岡山市表町おもてちよう二丁目

岡山城下の内堀と中堀に囲まれた郭内商業地域南端の町。南北に走る山陽道の両側町で、東は内堀を限り、北は下之しもの町、西は中堀で東中山下ひがしなかさんげと、南は内堀で紙屋かみや町と対する。北は下之町と横町で境。宇喜多氏時代の成立と考えられ、寛永―慶安(一六二四―五二)頃には「仙阿弥町」(寛永・慶安の各城下絵図)、延宝(一六七三―八一)頃から栄町(「触留」池田家文庫)。山陽道の宿が置かれ最初は伝馬町とよばれたという(吉備温故秘録)


栄町
さかえまち

[現在地名]沼田市戸鹿野町

正保二年(一六四五)沼田城大手から南方へ向かう参勤交代路沿いに、城下坊新田ぼうしんでん町に続けて戸鹿野とがの村地内に当初沼田町枝郷として町割され(沼田町史)、延宝五年(一六七七)城下絵図(高橋家蔵)には四四軒を記載、町南端に木戸、その南に枡形を配置。屋敷には城の用木として槻が植えられ、現在も二本の大木が残っている。その後天和元年(一六八一)郷村品々記録(小林文書)では戸鹿野村の内とあり高四〇〇石余、貞享三年(一六八六)戸鹿野村検地帳(戸鹿野町有文書)では高二〇五石余とあり戸鹿野村の枝郷となる。安政七年(一八六〇)高遠石工職人送状(同文書)によると信州伊那郡西伊那部にしいなべ(現長野県伊那市)の石工三人が当町で石工職人稼をしている。


栄町
さかえまち

昭和三年(一九二八)一月に成立した現在の苫小牧市の町名。苫小牧市の中心部南側に位置し、北はにしき町。町名は当地の繁栄を願って命名。同年に苫小牧町大字栄町が誕生し(「町名設定地番改正調書」苫小牧市立中央図書館蔵)、同一九年の大字廃止字名改称により苫小牧町栄町となった(「苫小牧町字地番整理調書」同館蔵)。同二三年市制施行により苫小牧市栄町となり、同四五年の住居表示実施で一―三丁目を設定し、一部を高砂たかさご町一―二丁目に移し、おお町の一部を編入した(住居表示新旧対照表)。昭和二年に苫小牧町会に提出された町名設定案では、栄町は錦町に含まれていた。


栄町
さかえちよう

上京区大宮通一条上ル西入

東西に通る横神明よこしんめい通の両側町。

拾芥抄」によれば平安時代には桃園宮ももぞののみやとその北に世尊せそん寺があった。中昔京師地図は当地辺りに「円興寺・仏心寺」と記すが、応仁の乱で焼失した(応仁記)

寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「あはとの丁」とある。町名は、豊臣氏が聚楽第じゆらくだい在城時に、蜂須賀阿波守の邸があったことによる。「坊目誌」所引の聚楽図に「殿下御附人阿波杢之介の屋敷なるべし」、同所引の官上京師地図に「阿波殿屋敷」とある。


栄町
さかえちよう

大正一一年(一九二二)四月に成立した現在の室蘭市の町名。絵鞆えとも半島の中央部に位置し、西は内浦湾に面する。もとは室蘭区大字本町ほんちようの一部で、大正一一年四月に室蘭区栄町となり、町名の由来は「簡明にして佳名を選ぶ」ことによる(「大字廃止及町名番地改称の件」昭和一六年室蘭市史)。同年八月の市制施行により室蘭市栄町となる。昭和四一年(一九六六)住居表示が実施され、一―二丁目を設定し、舟見ふなみ町一丁目の一部を編入(第四次住居表示新旧対照表)。明治三四年(一九〇一)当地に室蘭区裁判所を設置、検事局・登記所も併設され、長い間室蘭の司法庁舎となっていたが、昭和四五年に日の出ひので町一丁目に移転。


栄町
さかえちよう

[現在地名]函館市栄町

明治三八年(一九〇五)東川ひがしかわ町を分割して新設された町。町域分割後も一部が残った東川町の北東隣に位置する。同年の戸数一千二三七・人口四千九六三(伊藤鋳之助文書)同四二年の町域面積は四万四千七一五坪(函館区統計)。大正九年(一九二〇)の第一回国勢調査時には世帯数一千七一・人口四千九五一。昭和九年(一九三四)の函館大火で町域は全焼。同一三年六月、函館大火後の区画整理が行われた際、西川町の一部を編入し、一方で町域の一部を西川町へ編入した。


栄町
さかえまち

[現在地名]旭川市二条西にじようにし一―四丁目・三条西さんじようにし一―六丁目・四条西よじようにし一―九丁目

昭和四年(一九二九)に新設された町。明治三二年(一八九九)八月の字名変更で曙通あけぼのどおりが置かれた。昭和四年四月の町名変更により栄町西一―四丁目を設定。同七年旧牛朱別うしゆべつ川の流路跡が埋立てられ、町域利用地が拡大。


栄町
さかえちよう

上京区御車道今出川下ル二丁目

南北に通る河原町かわらまち通に東面する片側町。寛永以後万治以前京都全図に「栄丁」と出、元禄四年(一六九一)京大絵図には「こくらく寺」「正定院」「迎称寺」などの寺院が記され、町名はみえない。天保二年(一八三一)改正京町絵図細見大成には「栄丁」と記される。


栄町
さかえちよう

下京区富小路通六条下ル

南側は花屋町はなやちよう通に面し、町の中央を東西に六条通が通る。

平安京の条坊では左京七条四坊一保八町北側にあたり、平安中期以降は六条高倉小路東の地。院政期以前は、棗苑の地(拾芥抄)


栄町
さかえまち

[現在地名]釧路市栄町

昭和七年(一九三二)に設置された町名。もと釧路村の一部(西幣舞)。昭和七年の世帯数三五六・人口一千九二九(釧路郷土史考)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「栄町」の意味・わかりやすい解説

栄〔町〕
さかえ

千葉県北部,利根川沿岸低地から下総台地北部にいたる町。 1955年安食 (あじき) ,布鎌 (ふかま) の2村が合体して町制。中心地区の安食はかつて利根川水運時代の宿場町として栄えた。米作が主産業であるが,イチゴトマトなどの施設野菜の栽培も行われる。史跡の竜角寺境内の塔跡や岩屋 (いわや) 古墳があり,一帯は房総風土記の丘公園となっている。南部の印旛沼北岸一帯は印旛手賀県立自然公園に属する。 JR成田線が通る。面積 32.51km2。人口 2万127(2020)。

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