日本歴史地名大系 「長助新田」の解説 長助新田ちようすけしんでん 茨城県:水海道市長助新田[現在地名]水海道市長助町小貝(こかい)川北岸、大生新田(おおのしんでん)南端に位置。東は兵右衛門(ひようえもん)新田。寛永六年(一六二九)に関東郡代伊奈忠治から出された巳歳長助新田御年貢可納割付之事(市村家文書)に「中田弐町九反廿歩、卯発内壱町八反廿歩引、残壱町壱反壱斗取、此取壱石壱斗、中畠四町九反四畝拾五歩、辰発内三町八反七畝歩引、残一町七畝拾五歩壱斗取、此取壱石七升五合」とみえる。寛永一一年に伊奈氏による再検地があり、寛文元年(一六六一)には幕府代官南条金左衛門による九石余の新田見取改出があった。この新田分は延宝四年(一六七六)に高入され、村高は二〇四・九一八石となり、幕末まで変わらない。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報