日本歴史地名大系 「水海道市」の解説 水海道市みつかいどうし 面積:七九・六二平方キロ県南西部、鬼怒(きぬ)川と小貝(こかい)川が最も近接する辺りに位置。東は筑波郡豊里町・谷田部(やたべ)町・谷和原(やわら)村、西は飯沼新田(いいぬましんでん)三千ヘクタールの穀倉地帯と菅生(すがお)沼を挟んで岩井市、北は結城郡石下(いしげ)町、南は北相馬郡守谷(もりや)町および利根川旧河道を隔てて千葉県野田市。市域はほぼ中央を鬼怒川が南流し、東岸に沿って下妻街道(国道二九四号)が南北に延びる。その東方を小貝川が南流し、沿岸に筑波街道・雷神(らいじん)道の古道を残す。西部の台地には結城街道(県道水海道―鴻野山線)・銚子(ちようし)街道(県道岩井―守谷線)があり、低地を東仁連(ひがしにれ)川・飯沼川が末端の菅生沼まで流れる。国道二九四号と県道水海道―鴻野山(こうのやま)線をつなぐように県道土浦―野田線が中央部を東西に横断し、県南西部の交通の大動脈となっている。鬼怒川・小貝川に挟まれた沖積低地はアクト(悪土)とよばれる水田地帯で、最深低地を八間堀(はちけんぼり)川が南流し、集落は旧河道の自然堤防上に形成されている。西部の台地はノガタ(野方)とよばれる平坦な畑作地帯で、一部に狭隘なヤトが入込む下総台地特有の地形を示す。〔原始・古代〕鬼怒川西岸台地には縄文遺跡が多く、とくに花島(はなしま)町・大生郷(おおのごう)町には縄文草創期から前期遺跡が分布。花島貝塚は鹹水産貝を出土する、鬼怒川水系上限の貝塚として古くから知られる。また大輪(おおわ)町の築地(ついじ)遺跡や大生郷貝塚・大生郷遺跡では各時代の遺跡・集落跡が同緯度上に分布し、遺物も淡・鹹水産の貝をはじめ、土器・石器・骨角製品と多種にわたって出土し、古代人の定住に適した地であったと思われる。南部の内守谷(うちもりや)町・坂手(さかで)町・菅生町・大塚戸(おおつかど)町には小規模ながら古墳群(大塚戸の篠山、坂手の剣崎など)があり、菅生沼に面した菅生町の中郷(なかごう)地区、内守谷町の本郷(ほんごう)地区では古墳時代から奈良・平安時代にかかる製鉄遺構なども確認されており、古代の利根川水系の文化を考えるうえで貴重な遺跡となっている。市域の大半は古代の岡田(おかだ)郡・豊田(とよだ)郡域に含まれ、南西部は相馬郡に属したと考えられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by