長得名
ちようとくみよう
中世、広川庄のうちに置かれた名。現長徳に比定される。天福二年(一二三四)二月日の坂東寺所役注文案(岡本文書/鎌倉遺文七)に「長得名十五町二反 分銭四貫五百六十文」とみえ、広川庄鎮守社造営料足反別三〇文を、また新宮灯油料八反分、正月九日会の饗膳五膳・流鏑馬役一番、相撲役・駕輿丁・男舞各一人を賦課されている。寛元三年(一二四五)当名は千与益丸名・千歳丸とともに公文屋一間の造営分担を定められている(同年一〇月六日「広川庄鎮守神役支配状案」同文書/鎌倉遺文九)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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