広川庄(読み)ひろかわのしよう

日本歴史地名大系 「広川庄」の解説

広川庄
ひろかわのしよう

現広川町の大半、筑後市北東部、および一部八女市の西部に広がる庄園。宣陽門院らの女院を本家、紀伊熊野社(熊野本宮大社)を領家とする。建仁元年(一二〇一)の高良宮造営田数注文に上宮の回廊二宇三二間分の料田のうち「広川庄四百四十一町五段 九間分」とあり、高良こうら(現久留米市)造営役が賦課されている。なお建永元年(一二〇六)領家の熊野社は同社造営役の免除朝廷に訴え、認められている(「三長記」同年六月二九日条)。当庄は天承元年(一一三一)に立庄され、長承元年(一一三二)待賢門院が領家職を管領した際に仏神田は免田とされ、保延四年(一一三八)領家職が熊野山に寄進された。おそらくこの時に新宮が勧請され、久安三年(一一四七)に若宮王子社が、元久二年(一二〇五)には西御前社が造立されるなど、新宮を含めた三社が紀伊国から勧請されて当庄の鎮守となり、坂東ばんどう(現筑後市)がその別当寺となった。建仁二年、寛喜三年(一二三一)大嘗会召物、宇佐宮・高良造営用途を免除された(以上、元弘四年二月九日「弁賀等連署契状案」岡本文書/鎌倉遺文四二)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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