日本歴史地名大系 「広川庄」の解説
広川庄
ひろかわのしよう
現広川町の大半、筑後市北東部、および一部八女市の西部に広がる庄園。宣陽門院らの女院を本家、紀伊熊野社(熊野本宮大社)を領家とする。建仁元年(一二〇一)の高良宮造営田数注文に上宮の回廊二宇三二間分の料田のうち「広川庄四百四十一町五段 九間分」とあり、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
現広川町の大半、筑後市北東部、および一部八女市の西部に広がる庄園。宣陽門院らの女院を本家、紀伊熊野社(熊野本宮大社)を領家とする。建仁元年(一二〇一)の高良宮造営田数注文に上宮の回廊二宇三二間分の料田のうち「広川庄四百四十一町五段 九間分」とあり、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...