広川町(読み)ひろかわまち

日本歴史地名大系 「広川町」の解説

広川町
ひろかわまち

面積:三七・九一平方キロ

八女郡の北西部、八女市の北に位置する。東は上陽じようよう町、北は久留米市、西は筑後市と接する。南部から東部にかけて八女丘陵が広がり、北部は耳納みのう山地から派生した丘陵が続く。耳納山地の発心ほつしん(六九七・五メートル)水源とする広川は広川ダムを経て、赤藪あかやぶ(四〇五・四メートル)白金しらかね(三五七・四メートル)などから水を集めた小椎尾こじお川・逆瀬谷さかせだに川と合流、さらに町域南部で長延ながのぶ川・高間こうま川を合せて久留米市方面に向かい、城島じようじま町域で筑後川に合流する。

広川町
ひろがわちよう

面積:六五・四四平方キロ

有田郡南西部にあり、西は海に面する。町域は広川の全流域および以西の臨海地域を占める湯浅ゆあさ湾南部地域にあたる。北は広川下流部で湯浅町市街地と境し、それより東も高城たかしろ山・地蔵じぞう峰・霊巌れいがん山を連ねる一連の稜線で湯浅町と接し、東部は森林で金屋かなや町および日高郡中津なかつ村と接する。南部は日高郡川辺かわべ町・日高町・由良ゆら町と白馬しらま山脈で境する。

広川町
ひろがわちよう

1996年4月1日:有田郡広川町が「ヒロカワチョウ」から「ヒロガワチョウ」に町名変更
【広川町】和歌山県:有田郡

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「広川町」の意味・わかりやすい解説

広川〔町〕
ひろがわ

和歌山県西部,紀伊水道にのぞむ町。 1955年広町と南広,津木の2村が合体して発足。白馬山脈に発して湯浅湾に注ぐ広川流域を占め,町名はこの川の名に由来。河口にある中心集落の広は,中世,紀伊の守護畠山氏の居城があったところ。広川河口から南の海岸は天洲松原と呼ばれ,安政1 (1854) 年の津波の際「稲叢 (いなむら) の火」を焚き村民を救った浜口梧陵が築いた防潮堤がある。この広村堤防と浜口梧陵の墓は史跡に指定されている。また,重要文化財を多く有する広八幡神社をはじめ,法蔵寺などの古社寺がある。名南風鼻 (なばえのはな) で古生代の化石,鷹島縄文土器出土ミカン,野菜の栽培が行われる。海岸地域一帯は西有田県立自然公園に属する。面積 65.33km2。人口 6781(2020)。

広川〔町〕
ひろかわ

福岡県南西部,久留米市の南に接する町。筑紫平野の南東部から水縄山地南西部に位置する。 1955年上広川村と中広川村が合体して町制。同年下広川村の一部を編入。米作,ブドウ,ナシ,ミカン,モモなどの果樹,チャ (茶) の栽培のほか酪農も行なわれ,久留米絣を産する。近年都市化が進み,広川中核工業団地は久留米・鳥栖テクノポリスの一拠点となっている。西端に国の史跡の石人山古墳がある。国道3号線が通じる。面積 37.94km2。人口 1万9969(2020)。

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