霊樹院跡
れいじゆいんあと
宝暦一三年(一七六三)の島崎村の下ケ名寄帳ではたこ原に霊樹院の名を記載し、支配地四反をもつ。たこ原は明治初年の「飽田郡町村字調」にある団子原と思われる。「国誌」は「禅済家妙解寺末寺也、寺領現米五拾石」とし、山号は法宝山、開基明峯、本尊釈迦仏という。もと託麻郡竹宮村にあり、延宝元年(一六七三)有吉頼母英貴の妻室霊樹院尼没後、この地に寺地を賜り、天和二年(一六八二)に移し、元禄七年(一六九四)有吉頼母英長の妻室長寿院の没に際し、現米五〇石を寄進したという(国誌)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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