日本歴史地名大系 「青山大膳亮様領地調」の解説 青山大膳亮様領地調(尼崎藩青山氏領地調)あおやまだいぜんのすけさまりようちしらべ 一冊成立 寛文九年頃原本 尼崎市立地域研究史料館寄託加藤家文書解説 寛永一二年摂津尼崎に入封した青山氏の時代に城の南の島二つにまたがって築地町が建設され、尼崎の町数は八町となったが、築地町については寛文九年を境に古地・新地に区別された。本史料はこの頃に作成されたと推定される。内容は、尼崎町全体の地子高を掲げたあと、本地子高と新屋地子高とに分けて各町ごとの屋敷面積とその年貢率を記載しているが、そこに記載されている町名は築地町を除く七町である。築地町の地子については尼崎地子(本地子・新屋地子)とは別に、史料の末尾に尼崎葭島高として記載されている地子高がその当時の築地町(古地)の地子高と推定される。「兵庫県史」史料編近世三所収 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by