青山氏(読み)あおやまうじ

改訂新版 世界大百科事典 「青山氏」の意味・わかりやすい解説

青山氏 (あおやまうじ)

三河出身の江戸時代の譜代大名。南北朝内乱のころ,三河に来て徳川氏の宗祖松平親氏に仕えた岩津譜代の家筋といわれるが不明な点がある。青山氏の三河譜代の部将としての活躍がみえるのは,史料上,家康の父広忠に仕えた忠門(ただかど)のときである。忠門は広忠死後,家康に近侍し,三河一向一揆などに戦功あり,元亀年代(1570-73)には武田氏の岡崎侵攻にさいし,代々の領地百々(どうどう)村を要塞化して岡崎城防衛の任を果たした。忠門の子忠成も武田氏との抗戦で戦功あり,のち秀忠付きの重臣となった。関ヶ原の戦後,上総・下総両国のうちで1万5000石を与えられた。宗家の忠成家は,忠成が町奉行,忠俊が大坂城代,忠裕(ただやす)が老中などの要職にあり,丹波篠山(ささやま)藩6万石で廃藩。一方,忠成の第3子幸成は大坂の陣で功があり,のち老中に任ぜられた。子孫は美濃郡上(ぐじよう)藩4万8000石を領知し廃藩。両家とも維新後,子爵
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「青山氏」の意味・わかりやすい解説

青山氏
あおやまうじ

江戸時代の譜代大名(ふだいだいみょう)、旗本の姓氏の一つ。出自については不明な点があるが、忠門(ただかど)のときには松平広忠(徳川家康の父)に臣属していたことは間違いなく、当時の領地は三河国(愛知県)岡崎の北方にある額田(ぬかた)郡百百(どうどう)村であった。広忠の死後、一時今川義元(いまがわよしもと)の配下となったが、桶狭間(おけはざま)の戦いで義元の敗死後、元康(家康)に帰属。江戸時代に入って青山氏で大名となったのは、たびたびの国替(くにがえ)のあと丹波(たんば)篠山(ささやま)藩主となった青山氏宗家と、美濃(みの)郡上(ぐじょう)藩主(幸成(ゆきなり)系)の2家で、そのまま明治維新に至った。宗家の忠成(ただなり)は徳川氏の駿河(するが)、遠江(とおとうみ)、三河、甲斐(かい)、信濃(しなの)の五か国領有期以来、秀忠(ひでただ)の側近にあり、幕府の重臣(江戸町奉行(まちぶぎょう)、関東総奉行)となった。のち青山氏からは老中、大坂城代、京都所司代が出ている。

[煎本増夫]


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