須津村
すづむら
[現在地名]宮津市字須津
天橋立の西方阿蘇海の奥まったところにある。北東部は文殊門前に、西・南部は岩滝村・弓木村(現与謝郡岩滝町)、石川村(現与謝郡野田川町)に接する。須津峠を越えて東南の宮津城下に通じる。
慶長検地郷村帳に八一六・七四石「須津村」とみえるが、延宝九年(一六八一)の延高により一〇二九・二八石となったが、ほかに一三・三六八石の智恩寺領があった(天和元年宮津領村高帳)。
幕末期の戸口は一五七軒、七〇五人(与謝郡誌)。
須津彦神社には雄略天皇に殺された市辺押盤皇子の子億計・弘計二皇子が難を避けた余佐郡はこの地をさすという伝説がある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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