デジタル大辞泉
「門前」の意味・読み・例文・類語
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もん‐ぜん【門前】
- 〘 名詞 〙
- ① 門のまえ。門のあたり。
- [初出の実例]「於レ時射水郡大領安努君広嶋門前之林中預設二餞饌之宴一」(出典:万葉集(8C後)一九・四二五一)
- 「適(たまたま)残れる家々も、門前(モンゼン)草深して、庭上露しげし」(出典:源平盛衰記(14C前)一七)
- [その他の文献]〔白居易‐琵琶行〕
- ② 江戸時代、酒店の隠語で、値がつくままにどんどん売ってゆくこと。
- [初出の実例]「ちっともいくやつは、鍋町かすじけへか来たら、門前にたたかふとおもひやす」(出典:洒落本・仕懸文庫(1791)二)
かど‐さき【門前・門先】
- 〘 名詞 〙 門の前。表入り口の前。もんぜん。
- [初出の実例]「むりに引立去状も。倶(とも)に渡して門(カト)先へ心強くも突出し」(出典:浄瑠璃・仮名手本忠臣蔵(1748)一〇)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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門前
もんぜん
[現在地名]小矢部市中央町・本町
南北道沿いの細工町の南に続く両側町。古国府勝興寺支坊・光願寺・尊光寺(ともに現浄土真宗本願寺派)が並ぶ門前町で(元禄一五年今石動町図)、寛保二年(一七四二)には家数三五があったが、本町・散町のいずれにも属さなかった(今石動由来)。勝興寺支坊は末友安養寺(勝興寺)が天正一三年(一五八五)に伏木(現高岡市)へ移転したため、礪波郡門徒の懇請により木舟城(現福岡町)城下に創建された。同城廃城後、前田利秀から寺地を与えられ今石動に移建。慶安元年(一六四八)の検地で二一歩を削られ寺地一千三二〇歩。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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門前
もんぜん
石川県能登(のと)半島中北部、鳳至郡(ふげしぐん)にあった旧町名(門前町(まち))。現在は輪島(わじま)市の南西部を占める地域。日本海に臨む。1930年(昭和5)櫛比(くしひ)村が町制施行して門前町となる。1954年(昭和29)黒島(くろしま)、諸岡(もろおか)、七浦(しつら)、浦上(うらかみ)、本郷(ほんごう)の5村と合併、1956年剣地(つるぎじ)村を編入。2005年(平成17)鳳至郡と珠洲(すず)郡の統合により、鳳珠(ほうす)郡に属したが、2006年輪島市に合併した。地名は総持寺(そうじじ)の門前町による。国道249号が通じる。中世総持寺が開かれ、曹洞(そうとう)宗本山として栄えた。1907年(明治40)本山は鶴見(つるみ)(横浜市)へ移転し、現在は祖院と称される。近世は黒島、剣地などは北前船(きたまえぶね)の寄港地として栄え、現在は船員の出稼ぎが多い。米作とスギ、アテ(アスナロ)の植林を主とし、織物、電気機械工業も発達している。海岸は皆月(みなづき)湾、猿山(さるやま)岬、泣き砂の琴ヶ浜などの景勝地に富み、能登半島国定公園の一部になっている。冬の季節風を防ぐ間垣(まがき)もみられ、剣地には越中守大伴家持(えっちゅうのかみおおとものやかもち)の歌碑がある。
[矢ヶ崎孝雄]
『『門前町史』(1970・門前町)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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門前
もんぜん
石川県北部,輪島市西部の旧町域。能登半島北西端にある。 1930年町制。 1954年黒島村,諸岡村,七浦村,浦上村,本郷村の5村と合体。 1955年剣地村を編入。 2006年輪島市と合体。中心地区の門前は古くは寺町,寺口とも称し,元亨1 (1321) 年に開かれた曹洞宗大本山総持寺の門前町として発展。総持寺は 1898年火災で焼失し,横浜市へ本山が移ったが,総持寺祖院として盛時の面影を伝える。米中心の農業と沿岸漁業が行なわれる。また織物,電機の小工場が立地。古くからの行事が残り,「奥能登のあえのこと」 (→あえのこと ) 「能登のアマメハギ」は国の重要無形民俗文化財。猿山岬,皆月は外浦の景勝地で,能登半島国定公園に含まれる。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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普及版 字通
「門前」の読み・字形・画数・意味
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
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門前[町]【もんぜん】
石川県能登半島北西部にある鳳珠(ほうす)郡の旧町。中心の門前は総持寺の門前町として発達。本山は1898年焼失後横浜市に移り,当地は祖院となった。農林業,漁業が主で,能登半島国定公園に属する猿山岬,琴ヶ浜がある。2006年2月輪島市へ編入。157.54km2。8461人(2003)。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の門前の言及
【由良[町]】より
…三井造船由良工場も立地し,宅地造成などが進む。町域西端の白崎は美しい石灰岩の岬で,明治以降近年までセメント用に採取されていた門前の北側山麓に中生代ジュラ紀の砂岩の大露出があり,〈門前の大岩〉(天)と称される。紀伊水道に浮かぶ黒島はハマカズラの自生北限地。…
※「門前」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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