須賀領村(読み)すかりようむら

日本歴史地名大系 「須賀領村」の解説

須賀領村
すかりようむら

[現在地名]嬉野町須賀領

三渡みわたり川中流域の平野部に位置し、津屋城つやじよう村の南西にあたる。西は村。古代の須可すか郷に由来する村名で、中世は須可庄の荘域であった。文禄検地帳(徳川林政史蔵)に須可領村とみえ、田畑屋敷合せて二一・八五町余、分米三一三・四七九石とあり、小物成として酒年貢などがあった。元和五年(一六一九)和歌山藩松坂領となり、下ノ庄組に属する。慶安郷帳(明大刑博蔵)には新田と水損所のあったことを記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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