須可庄(読み)すかのしよう

日本歴史地名大系 「須可庄」の解説

須可庄
すかのしよう

平治元年(一一五九)一一月一七日の須可庄下司為兼息兼真解(陽明文庫蔵「兵範記」仁安二年冬巻裏文書)に「伊勢国須可御庄下司為兼法師子息僧兼真解 申請 殿下政所裁事」とみえ、平信兼が当庄下司職を相伝した為兼とその妻女次男を禁固し、息子三人を切ったため、息子の兼真が恩裁を請うている。元暦二年(一一八五)六月一五日の源頼朝下文(島津家文書)には、「下 伊勢国須可御庄 補任 地頭職事 (別筆)左兵衛尉惟宗忠久 右件所者、故出羽守平信兼党類領也、而信兼依発謀反、令追討畢、仍任先例、為令勤仕公役、所令補任地頭職」とみえ、惟宗忠久を地頭職に補任している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android