須長村(読み)すながむら

日本歴史地名大系 「須長村」の解説

須長村
すながむら

[現在地名]新城市須長

大宮おおみや村の東北、牛倉うしぐら村の東にあたる。近世初頭には森長もりなが村・名高田なこうだ村を含んでおり、慶長九年(一六〇四)検地帳では田一四町八反余・一八八石余、畑・屋敷(一八筆)四町八反余・五九石余、その他合わせて二四七石余の村であった。翌一〇年、森長村・名高田村と分村したが、寛永郷帳でも一村扱いとなっている。分村後の当村は、菅沼家の領地目録(新城市誌)では九九石余と新田二石余。安政七年(一八六〇)の火消人数定(新城町誌)の家数二二。

村域南部の山腹字道久保みちくぼには、須長古墳群の一―四号墳が分布する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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