日本歴史地名大系 「新城市」の解説 新城市しんしろし 面積:一一七・六〇平方キロ中央構造線に沿って東北から西南に貫流する豊川を挟み、右岸は本宮(ほんぐう)山と東北に連なる雁峯(かんぼう)山の東南斜面と河岸段丘上、左岸は赤石(あかいし)山脈の支脈である弓張(ゆみはり)山系の西北斜面を占める。雁峯山系から流れ出る小河川が河岸段丘を直流して田切地形をなし、中・下位の段丘上に耕地が発達する。左岸は複雑な地形を示し、弓張山系中を小河川が屈曲して流れ、河川の谷間に耕地がみられる。河岸段丘は少ない。東北は南設楽(みなみしたら)郡鳳来(ほうらい)町、北西は同郡作手(つくで)村、西は宝飯(ほい)郡一宮(いちのみや)町、南は豊橋市・静岡県引佐(いなさ)郡三(みつ)ヶ日(び)町と接する。天文元年(一五三二)菅沼定継は大谷(おおや)城から石田(いしだ)地内に築城してこれに移り新城(しんじよう)と称した。この石田新城は廃城となったが、天正三年(一五七五)奥平信昌が入船(いりふね)に築城して新城(しんしろ)城と称し、新城の呼称が生じた。〔原始〕先土器時代の遺跡に萩平(はぎひら)遺跡・荒井(あらい)遺跡など、縄文早期の遺跡に萩平遺跡・夜灯(やとう)遺跡などがある。篠原(しのはら)遺跡など縄文前・中期の遺跡が八ヵ所、黒瀬(くろせ)遺跡など後期のものが八ヵ所、晩期になると大(だい)ノ木(き)遺跡はじめ一四ヵ所の遺跡がみられるようになる。さらに、弥生時代にも大の木神荒居遺跡など、市内各地に広範囲に遺跡が発見されている。古墳時代には一〇号墳の前方後円墳を含む一〇基の断上(だんじよう)古墳群、三四基以上の川田原(かわだはら)古墳群、一五基の摩訶戸(まかご)古墳群、積石塚の三三基の旗頭山(はたがしらやま)古墳群など二〇〇近くの古墳があって相当の人口があったことを示している。 新城市しんしろし 2005年10月1日:新城市と南設楽郡鳳来町・作手村が合併⇒【鳳来町】愛知県:南設楽郡⇒【作手村】愛知県:南設楽郡⇒【新城市】愛知県 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「新城市」の意味・わかりやすい解説 新城〔市〕しんしろ 愛知県東部,豊川の上・中流域にある市。西部は美濃三河高原上に位置し,東で静岡県に接する。 1955年新城町,千郷村,東郷村,舟着村,八名村が合体し,1958年市制。 2005年鳳来町,作手村と合体。近世,菅沼氏の陣屋があったが,三河と信濃を結ぶ伊那街道の宿場町として発展。豊川水運の終点にあたり,水陸交通の結節点であった。明治に入り中央本線,豊川鉄道の開通に伴い重要性を失った。第2次世界大戦後は畜産を振興し,カキ (柿) やチャ (茶) などの樹園経営も行なわれた。高度成長期に工業化が進み,内陸工業地帯となっている。鳳来寺山 (国指定名勝・天然記念物) の山頂付近にある鳳来寺は,仁王門と東照宮が国の重要文化財に指定されるほか,「三河の田楽」として国の重要無形民俗文化財に指定される鳳来寺田楽が行なわれる。阿寺の七滝,乳岩および乳岩峡は国の名勝・天然記念物,馬背岩,黄柳野 (つげの) ツゲ (黄楊)自生地,甘泉寺のコウヤマキ (高野槇)は国の天然記念物に指定。ほかに望月家住宅 (国指定重要文化財) ,長篠城跡 (国指定史跡) ,鳳来峡,サクラの名所として知られる桜淵などがある。市域の一部は愛知高原国定公園,天竜奥三河国定公園,桜淵県立自然公園,本宮山県立自然公園に属する。 JR飯田線,国道 151号線,257号線,301号線が通る。面積 499.23km2。人口 4万4355(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by