頼久寺丁(読み)らいきゆうじちよう

日本歴史地名大系 「頼久寺丁」の解説

頼久寺丁
らいきゆうじちよう

[現在地名]高梁市頼久寺町

中之なかの丁の東に位置し、頼久寺と道を隔てた西下に位置するところからこの名がある。北は美濃部みのべ坂をもって御前おんざき丁と接し、南は下谷しもだに(現紺屋町川)を隔ててむこう丁。池田氏の藩主時代にはすでに城下町として成立しており、家中屋敷が置かれていたが、寛永一九年(一六四二)水谷氏の入部後は中堅家臣の屋敷が置かれており、元禄(一六八八―一七〇四)初年頃には八(御家内之記「水谷史」芳賀家蔵)、延享元年(一七四四)には六(「松山家中屋敷覚」高梁市立図書館蔵)幕末には五(「松山城下屋敷図」同館蔵)の家中屋敷があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

梅雨の季節に入ること。つゆ入り。毎年6月中旬~7月中旬の約1ヵ月間,九州から東北地方は梅雨の季節に入る。これは,北方のオホーツク海高気圧と南方の小笠原高気圧とに挟まれて,揚子江流域から九州,四国,本州...

入梅の用語解説を読む