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デジタル大辞泉
「下谷」の意味・読み・例文・類語
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下谷
したや
現在の上野公園(旧東叡山寛永寺境内)東麓一帯をさす広域名称。台地であった上野に対する下谷かといわれるが(風土記稿)、起源は不詳。北条氏所領役帳によると、大谷十郎左衛門が「江戸廻下谷菅野分」三五貫九〇〇文、原田某が「江戸下谷五分一」七貫三四〇文を知行している。菅野氏は太田道灌の下で武州金沢(現神奈川県横浜市金沢区)付近を支配した扇谷上杉氏の被官であった。江戸幕府三代将軍徳川家光時代には浅草寺雷神門辺りから東叡山(上野)まで葦が一面に茂った谷であったといわれ(風土記稿)、林羅山の詩「下谷耕田」をみても村落であったことがわかる。下谷の範囲は古くは東は浅草・鳥越、西は上野・湯島、北は坂本・金杉の二村に至り、南は神田川に達して、中央部を不忍池から流れ出た川筋が西から東へと横断していたといい、その後町場が形成されたのちは南は外神田、北は小塚原・中村町(現荒川区)、東は浅草、西は湯島・根津・本郷に接し、北西に上野の地が入り込んだ広い地域を下谷と称するようになった(御府内備考)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
下谷
したや
東京都台東区(たいとうく)北西部にある地区。台地を上野とよんだのに対し、沖積低地は下谷とよばれた。かつて上野駅を中心とした広い地域をいい、旧下谷区が1878年(明治11)成立したが、1947年(昭和22)旧浅草区と合併して台東区となった。現在は旧日光街道と東京地下鉄日比谷(ひびや)線の通る昭和通りの間の地区で、西は根岸、東は入谷(いりや)と接する。1丁目に入谷鬼子母神(きしもじん)で知られる真源(しんげん)寺があり、7月7日前後の朝顔市は有名。
[沢田 清]
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下谷【したや】
東京都の旧区。1947年浅草区と合して台東区となった。上野駅東側の地域で,地名は西側の上野が台地をなすのに対し,低地にあたることに由来。南部は江戸時代の大名屋敷,武士町,北部は小商工業地区から発達。現在は商業地,住宅地域をなす。
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したや【下谷】
隅田川西岸,上野台下に位置する低地部(東京都台東区西部)の地名。古くは下屋とも書かれ,高台の上野に対する低地の意味で呼ばれた。初見は戦国期の1559年(永禄2)。当時の下谷は武蔵国豊島郡に属して一村を成し,後北条氏の支配下にあった。上野,金杉などにも小集落が展開していたが,周辺一帯は大部分が沼沢地か低湿地であった。江戸期に入って開拓が活発に行われ,坂本,竜泉寺などにも集落が成立,それと並行して下谷地域の市街地化が進んだ。
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下谷
したや
東京都台東区北部の地区。旧区名でもあったが,浅草区と合体して台東区となった。上野恩賜公園の北東に位置し,中小工場や各種の問屋が集中。上野駅付近は繁華街。
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