頼政道(読み)よりまさみち

日本歴史地名大系 「頼政道」の解説

頼政道
よりまさみち

治承四年(一一八〇)近江三井(みい)寺(現滋賀県大津市)に挙兵した源頼政・高倉宮以仁王らが、策謀が漏れたために平家の追討を逃れて南都に急ぐ途中通過したと伝えられる道。京都市伏見区醍醐(だいご)から、同日野(ひの)、宇治川東方の丘陵地にかけて断続的にこの名称をもつ道路が残り、木幡(こはた)・五ヶ庄(ごかのしよう)では現在市道名として公称されている。

この道路は宇治橋と逢坂(おうさか)関(現大津市)を最短距離で結ぶものである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む