五ヶ庄(読み)ごかのしよう

日本歴史地名大系 「五ヶ庄」の解説

五ヶ庄
ごかのしよう

安威あい川の上流部とその支流域、および茨木川上流の佐保さほ川流域諸村の近世初期の総称。元和初年の摂津一国高御改帳に幕府領(大和小泉藩片桐貞隆預)の「五ケ庄」三千七六三石余がみえ、その小村として高山たかやま(現豊能郡豊能町)大岩おおいわ千提寺せんだいじ生保しようぼ大門寺だいもんじにん(忍)頂寺ちようじ下音羽しもおとわ安見やすもと(元)・上音羽車作くるまつくり銭原ぜにはら佐保泉原いずはらの一三ヵ村をあげる。五ヶ庄の名は中世の京都仁和寺領「忍頂寺五ヶ庄」に由来すると思われ、同庄は忍頂寺・音羽・銭原・佐保・泉原の五ヵ村からなっていた。この五ヵ村を中心に、北は丹波国境の清坂きよさか峠、東は安威川流域、西は石堂いしどうヶ丘(標高六八〇・五メートル)西麓の高山村をも含めて近世五ヶ庄が成立。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報