源頼政(読み)ミナモトノヨリマサ

デジタル大辞泉 「源頼政」の意味・読み・例文・類語

みなもと‐の‐よりまさ【源頼政】

[1104~1180]平安末期の武将通称源三位げんさんみ入道。白河法皇後白河天皇に仕え、保元平治の乱に功をあげた。のち、以仁王もちひとおう平氏追討を企てたが、事前に発覚して宇治平等院自殺和歌に長じ、家集に「源三位頼政卿集」がある。

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精選版 日本国語大辞典 「源頼政」の意味・読み・例文・類語

みなもと‐の‐よりまさ【源頼政】

  1. 平安末期の武将。和歌にも秀でた。平治の乱に一人だけ源氏として清盛方につき、和歌の諷詞により清盛の推輓(すいばん)をうけて三位に進んだ。のち以仁王(もちひとおう)を奉じて平氏打倒の兵をあげて敗れ、宇治平等院で自刃した。源三位入道。歌集に「源三位頼政卿集」がある。長治元~治承四年(一一〇四‐八〇

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改訂新版 世界大百科事典 「源頼政」の意味・わかりやすい解説

源頼政 (みなもとのよりまさ)
生没年:1105-80(長治2-治承4)

平安末期の武将。清和源氏の本宗摂津源氏の流れをくむ源仲政の子。母は勘解由(かげゆ)次官藤原友実の娘。弓の名手であり,歌人でもあった。1155年(久寿2)兵庫頭。56年(保元1)保元の乱で渡辺党以下200騎を率いて後白河天皇方につき勝利を得る。59年(平治1)平治の乱では初め源義朝方に加わったが変心して平家方につき,以後は源氏として唯一人六波羅政権下で生きのびることとなる。66年(仁安1)内昇殿を許され,78年(治承2)12月平清盛の奏請により74歳で念願の三位となった。ほどなく出家して法名を真蓮(一説に頼円)といい,源三位入道と呼ばれた。80年5月後白河院の皇子以仁王(もちひとおう)を奉じて挙兵,平氏方は頼政の行動を掌握しきれず,以仁王の討手の一人に頼政を予定したほどであった。同月26日近江の園城(おんじよう)寺から南都へ向かう途中,宇治で敗死した。頼政の和歌は《源三位頼政家集》(《群書類従》所収)のほか勅撰集や諸家集に多数見いだせる。

頼政は史実があまり確認されないのと対照的に,《保元物語》《平治物語》《平家物語》《源平盛衰記》など軍記物には再三登場する。三位昇進について《平家物語》は〈のほるへきたより無れは木の本にしゐをひろひて世を渡る哉(かな)〉の一首が清盛の目にとまり,頼政を哀れと思って三位に推したとする。また武人として朝廷警固に当たっているとき,仁平年間(1151-54),応保年間(1161-63)の両度にわたり鵺(ぬえ)を退治して天皇の病を治したという。さらに挙兵の動機については,頼政子息仲綱の名馬を平宗盛が所望したことに端を発すると説明している。

 これらが題材となって後世,謡曲頼政》《》,古浄瑠璃《よりまさ》,浄瑠璃《頼政追善芝(ついぜんのしば)》などが作られた。
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百科事典マイペディア 「源頼政」の意味・わかりやすい解説

源頼政【みなもとのよりまさ】

平安末期の武将。仲政(なかまさ)の子。弓術に長じ,歌人としても著名。保元(ほうげん)の乱には後白河天皇方に参じ,平治の乱では平清盛にくみし,従三位(じゅさんみ)に叙せられて源三位(げんざんみ)と呼ばれた。1180年以仁(もちひと)王を奉じて挙兵,平氏と宇治に戦って敗死した。家集に《源三位頼政家集》がある。紫宸殿(ししんでん)上の鵺(ぬえ)を射取ったという伝説は,能などに脚色されている。
→関連項目宇治歌林苑福原遷都渡辺津

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「源頼政」の意味・わかりやすい解説

源頼政
みなもとのよりまさ
(1104―1180)

平安後期の武将。法名真蓮(一に頼円とも)。源三位(げんざんみ)入道。父は仲政(仲正)、母は藤原友実(ともざね)の女(むすめ)。白河院(しらかわいん)以来、朝廷に仕え兵庫頭(ひょうごのかみ)に至る。摂津源氏渡辺党を率いて、保元(ほうげん)の乱には天皇方に属して功あり、平治(へいじ)の乱では平氏方に属した。平氏政権下で宮廷、京都の警衛に任じ、三位に至り内昇殿を許された。しかし平氏の専制、源氏の衰勢を憤って、1180年(治承4)後白河上皇の皇子以仁(もちひと)王を奉じて平氏打倒の兵をあげたが、平氏に討たれて5月26日宇治平等院(うじびょうどういん)で戦死した。このときに諸国の源氏に配布された以仁王の令旨(りょうじ)は、源氏再興の原動力となっている。頼政は射芸の達人として名があり、また和歌において当時の第一流に属し、今日に『源三位頼政集』を伝えるほか、多数の和歌を残している。

[多賀宗隼]

『多賀宗隼著『源頼政』(1973・吉川弘文館)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「源頼政」の意味・わかりやすい解説

源頼政
みなもとのよりまさ

[生]長治1(1104)/長治2(1105)
[没]治承4(1180).5.26. 宇治
平安時代後期の武将。仲政の子。蔵人を経て久寿2 (1155) 年兵庫頭となる。保元の乱には後白河天皇方として源義朝とともに戦ったが,平治の乱には義朝に従わず,平清盛とともに行動,仁安1 (66) 年昇殿を許された。治承2 (78) 年清盛の推挙により,清和源氏としては異例の従三位に叙せられた。翌年出家し,源三位入道といわれた。子仲綱が平宗盛にはずかしめられたことから,頼政の平氏に対する不満が爆発し,同4年後白河法皇の皇子以仁王 (もちひとおう) にすすめて平氏討滅の令旨を得,諸国に触れたが,事が漏れ,宇治平等院の戦いで死んだ。家集『源三位頼政卿集』がある。 (→保元・平治の乱 )  

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「源頼政」の解説

源頼政
みなもとのよりまさ

1104~80.5.26

平安末期の武将。仲政の長男。母は藤原友実の女。源三位(げんざんみ)頼政・源三位入道と称する。摂津源氏の流れをくみ,摂津国渡辺(現,大阪市中央区)を本拠とした。白河院判官代となり,1136年(保延2)従五位下,蔵人。55年(久寿2)兵庫頭。保元の乱には後白河天皇側に加わる。平治の乱でははじめ源義朝にくみしたが,離反して平清盛についた。清盛の厚い信頼もあり,66年(仁安元)正五位下に叙されたあと昇進を続け,78年(治承2)従三位。80年には以仁王(もちひとおう)を奉じて反平氏の兵を挙げたが失敗し,宇治で敗死。弓の名手,歌人としても有名。「新古今集」に入集,私家集「源三位頼政集」。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「源頼政」の解説

源頼政 みなもとの-よりまさ

1104-1180 平安時代後期の武将。
長治(ちょうじ)元年生まれ。源仲正の長男。平治(へいじ)の乱では平清盛方につき,平家政権下で唯一源氏としてのこった。治承(じしょう)4年以仁(もちひと)王をたてて挙兵したが敗れ,5月26日平等院で自殺。77歳。鵺(ぬえ)退治の伝説で知られ,歌人としても著名。源三位(げんざんみ)入道とよばれた。法名は真蓮,頼円。家集に「源三位頼政家集」。
【格言など】のぼるべきたよりなき身は木のもとにしゐをひろひて世をわたるかな(「平家物語」)

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旺文社日本史事典 三訂版 「源頼政」の解説

源頼政
みなもとのよりまさ

1104〜80
平安末期の武将・歌人
通称源三位 (げんさんみ) 入道。摂津源氏の仲政の子。保元の乱では後白河天皇方で参戦。平治の乱には当初源義朝に従ったが,のち平清盛側に参加。源氏衰退の時期にも公卿に列した。1180年以仁王 (もちひとおう) の令旨 (りようじ) を奉じて諸国の源氏にさきがけて平家追討の挙兵をしたが宇治で敗死。和歌にもすぐれ,『新古今和歌集』『千載和歌集』に作品が収載され,家集に『源三位頼政卿集』。

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世界大百科事典(旧版)内の源頼政の言及

【治承・寿永の内乱】より

…1180年(治承4)以仁王(もちひとおう)の令旨(りようじ)を受けた諸国源氏の挙兵から,85年(文治1)3月長門国壇ノ浦(下関市)に平氏一門が壊滅するまで,主として源平両氏による決戦のかたちをとって進行した全国的規模の内乱。当時の年号を冠してこう呼び,たんに治承の乱,あるいは源平の合戦(争乱)とも称する。
[内乱の序章]
 すでに12世紀中葉,全国各地では国守・目代と在地武士との対立が激化し,ときにそれは後者の反乱を惹起していた。…

【鵺】より

…拾イ物。源頼政は,保元・平治の乱で戦功があったのにたいした恩賞も与えられなかったが,晩年になって,〈人知れぬ大内山の山守は木がくれてのみ月を見るかな〉と詠んで昇殿を許され,その後〈のぼるべき便りなき身は木のもとに椎(しい)を拾ひて世を渡るかな〉と詠んで三位を与えられた。この人が世に名をあげたのは近衛院の御代のことである。…

【平等院】より

…だが,寺地が都の攻防の要衝にあったので,中世以降たびたび戦禍にまきこまれた。平家打倒の兵を挙げて敗れた源頼政は観音堂の側の〈扇の芝〉で自害し,1486年(文明18)山城国一揆の国人の集会は当寺で行われた。中世末には当初の堂舎のほとんどが焼失し,寺運も衰えた。…

【頼政】より

…世阿弥作。シテは源頼政の霊。旅の僧(ワキ)が宇治の里に赴くと,1人の老人(前ジテ)が現れて所の名所を教え,平等院に案内する。…

※「源頼政」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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