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京都府宇治市の北部にある地名。〈こわた〉とも。《古事記》《万葉集》にも登場し,《万葉集》では〈木旗〉〈強田〉などと書かれている。逢坂山へ通ずる要路であり,古くは宇治郡と紀伊郡とに広がる領域を指した。現在の地域に定まったのは,平安時代後半と考えられている。山ぞいに5~6世紀の古墳が散在し,式内社の許波多(こはた)神社が座している。関白藤原基経が北家の墓所と定め,さらに1005年(寛弘2)には道長が浄妙寺を創建し,藤原氏の菩提寺となった。また同氏の別荘も営まれ,師実の京極殿,基房の松殿がある。中世のこの地の争乱で,戦火に見舞われ,浄妙寺も室町前期に衰退した。江戸期には,天領,旗本領,公家阿野家領,同橋本家領が混在していた。また茶畑の生産面積も多く,宇治茶の産地として有名である。藤原氏の墓所は宇治陵として,その面影を残している。
執筆者:藤本 孝一
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京都府南部、宇治市の一地区。木旗、強田とも書く。宇治川の右岸に位置する。『古事記』や『万葉集』にもみえる古い地名で、背後に洪積層の黄檗(おうばく)丘陵が横たわり、これが茶園に利用され、茶業を営む者が多かった。現在は住宅化が急速に進んでいる。JR奈良線、京阪電鉄宇治線が通じる。
[織田武雄]
…京都府宇治市の北部にある地名。〈こわた〉とも。《古事記》《万葉集》にも登場し,《万葉集》では〈木旗〉〈強田〉などと書かれている。逢坂山へ通ずる要路であり,古くは宇治郡と紀伊郡とに広がる領域を指した。現在の地域に定まったのは,平安時代後半と考えられている。山ぞいに5~6世紀の古墳が散在し,式内社の許波多(こはた)神社が座している。関白藤原基経が北家の墓所と定め,さらに1005年(寛弘2)には道長が浄妙寺を創建し,藤原氏の菩提寺となった。…
※「木幡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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