飯田清太(読み)イイダ セイタ

20世紀日本人名事典 「飯田清太」の解説

飯田 清太
イイダ セイタ

大正・昭和期の鉄道技術者 鉄道敷設工事功労者。



生年
明治22(1889)年10月

没年
昭和50(1975)年12月10日

出生地
新潟県

主な受賞名〔年〕
勲五等双光旭日章,藍綬褒章

経歴
大正2年頸城鉄道会社入社、山田線、土讃線、熱海線、釜石線の鉄道敷設工事の現場責任者を務め、また函館線、中央線の複線化、東海道新幹線建設工事に従事。中でも大正10年4月、東海道線・旧丹那トンネルの工事中、崩壊事故に遭い、同僚16人と生き埋めとなったが、責任者として冷静な指示を与え、全員無事救出された話は有名。後、ユニオン土木相談役となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「飯田清太」の解説

飯田清太 いいだ-せいた

1889-1975 大正-昭和時代の鉄道技術者。
明治22年10月生まれ。大正2年鉄道会社にはいり,各地の鉄道敷設にあたる。10年東海道線旧丹那トンネル建設工事中,落盤事故により坑内にとじこめられるが,冷静沈着な行動によって8日後にほかの16名とともに生還した。昭和50年12月10日死去。86歳。新潟県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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